ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります



オープニングは、うつむいて、手をポケットに入れて、犬を散歩させているモーガン・フリーマン演じるアレックスの姿。物語の内容はラストの、もううつむいてはいない彼の「この数日はローラーコースターのようだった、ぐるぐる回って同じところに戻ってきた、大切なのは僕ら夫婦らしさとhomeを取り戻せたことだ」という語りに(びっくりするほど端的に)集約されている。
映画が主にアレックスの視点で進むのは、回想される出会いの場面での「見るのは僕の方だ」にダイアン・キートン演じるルースが掛けていた眼鏡を預ける、しかも外させる!(私も目が悪いから分かるけど、相当な「冒険」だよね、あれは)のに通じる、まるで彼女が信頼して語らせているように受け取れる。クレジットは敢えてダイアンの方が上であってもね。


描かれるのは「内覧会」の前日の朝からの数日間。二人の一日は、犬のドロシーを連れたアレックスが近所でコーヒーを買ってくることに始まる。ブルックリンの町を一望できるアパートメントの最上階の室内は、姪で不動産業者のリリー(シンシア・ニクソン)が「朝食にはサングラスが必要」を売り文句にするのも分かる日当たりの良さ。
「(内覧会が気重なら)あなたは映画にでも行ってれば?(まあ任せて!)」と軽く喋っていたルースが、ドロシーの様子がおかしいのに気付いた途端にアレックスを頼る、その「感じ」もいいし、夕方の光の中での「何だ?」「分かるでしょ(ありがとう、嬉しい、好き)」という「感じ」もいい。


冒頭、帰宅したアレックスはドアを開ける前にしばし立ち止まり、引っ越してきた日のことを思い出す。予告の時点で想像していた通り、二人が結婚したのは、ルースに言わせれば「白人と黒人の結婚が、30州で禁止されていて、20州で嫌悪されていた頃」。夫婦の生活は闘いだったに違いない。
このドアの前でのアップを始め、本作の一番の見どころはモーガン・フリーマンの表情だ。特にテレビのニュース(とそれを見聞きする人々)に対するそれ。映し出される青年が「テロリスト」か否かなんて「分からない」のに、テレビの内も外もレッテルを貼って大騒ぎしている。アレックスの言うように、ニュースが「作り出され、繰り返される」ものならば、その真逆にあるのは、彼がルースを「選んだ」理由を「君はrealだから」と言う、その「real」。青年が跪くのを見たアレックスは、「real」なルースと彼女を愛する自分がそれに反する行動をとるなんておかしいと気付くのだ。彼の体は益々弱り、犬は死ぬだろう、でも今の自分達の気持ちに沿って決めなくちゃと。


今世紀に入ってから(正確にはナンシー・マイヤーズの「恋愛適齢期」から)のダイアン・キートンは「素敵」にも程があるけど、本作もそう。例によって白い服で登場し、中盤の「会食」のあたりから纏う黒もお似合いだけど、色々あった最後の冬の朝には、アレックスのアトリエを真っ白に塗っている。
「退職祝い」の犬が10歳であることからして、ルースは現在70歳位の「元教師」。映画には「元教師」の女性が実にたくさん出てくる。私は70近い母から「教員になるつもりは無かったけど、当時は四大を出た女子が就ける仕事が限られていたから」と聞いているので、少なくとも日本の映画においてある程度の年齢の女性が「元教師」となれば、そういう事情もあったのかなと思いながら見てるんだけど、欧米でもそういうニュアンスはあるんだろうか。ちなみに同居人は、「電気のスイッチ」の場面を根拠に「彼女は民主的な先生だ」と言っていた(「ダイアン・キートンは公立学校の先生にしか見えない」とも・笑)