ひつじ村の兄弟



アイスランドの2015年作。とても吸引力のある映画だった。私にはこれは、他の人々はいわば「均された」世界に生きているが自分達はそうではない、という二人の話に思われた。


遠景の左端から羊が、右端から老人が中心に寄っていくオープニングに続いて、まだ「意味」のよく分からない場面の数々。何やら仲の悪そうな二人の老爺、門扉が羊だあと思っているとタイトル「Rams(これは英語版、原題は「Hrutar」)この時点では、彼らも羊なのかななどと考える。


羊飼い達が品評会で横一列に並び点数を付けられている様は、それぞれが前に羊を抱えている格好のせいもあり、羊と一体化しているかのようだ。しかしそのうち、当たり前ながら、人によりその「距離感」は違うと分かってくる。疫病の名を聞いたことのない私には、人々がそれについて話し合い対処する様子から、その蔓延が、「世界」を冒しているかのように感じられた。「ここから伝染病」の看板が立てられている場面はゾンビ映画さながら。この「感じ」はおそらく、作中の兄弟が感じているものに近いと思う。他の人々にはそれがなく、そのことが問題となる。


「家」がとても象徴的。冒頭から、弟の家での日常が何度も挿入される。クリスマスの晩にはご馳走を作り、一人楽しくやっているように見えるが、そのうち地下室に「秘密」を持つようになる。兄の方は家におられなくなり、戸外をうろつき酒を飲む。クリスマスの朝に弟が部屋に入ってみると、カーテンの閉められた部屋には子どもの頃の兄弟の写真。やがて弟は兄(の家)をノックして助けを求め、兄は弟(の家)に上がり込んだ者を排除する。作中とある場面で二つの家が同時に画面に入る時、それまでとは違って見えてどきりとした。


私は夏が大好きなくせに、映画などで見るなら冬の暮らしの方が断然好みで、そこに住まいたいとまで思ってしまうんだけど、その理由も本作には表れているような気がする。何かこう、寒いと「自分」をせっせと守ることが出来て落ち着くというか。具体的に目を引いたのはまず、かの地では貴重であろう陽の光を採り入れる、窓辺の魅力。風呂場のボトルが、昼間はとても魅力的なのに夜には何とも寂しく映る。他に置かれているものは、いつでも外を見られるための双眼鏡、台所のクッションと電気スタンド、書斎?には鉛筆削りと鳥の置物。どれも素敵だった。