最近見たもの


▼クライム・スピード


ヘイデン・クリステンセンエイドリアン・ブロディの共演とは珍しいので出向いてみた。エイドリアンは見てる間中ずっと、何やってんだよと思わずにはいられない役。終盤ヘイデンが実際にそう口にするのが可笑しい。髪がすぐ乱れてしまい、しかもそれを気にするような男。鍛えた背中を披露してのシャワーシーンで登場しても凡そのことは分かるのに、「カマを掘られたんだ!」とわざわざ口にする。更に「人生はくそだ」なんて。これをそういうキャラクターなんだと見るか、エイドリアンだなあと見るか(笑)


この映画の一番の妙は、強盗シーンに至ると突如スケールがでかくなるところ。ヘリがオフィスに突っ込んで墜落したり、強盗と警察が教会に入り込んでウェディングドレスが血塗れになったり。この辺りは「昔のアメリカ映画」を思わせる懐かしさ。ずっと降り続いている雨が熱いであろうことは、ジョーダナ・ブリュースターが「ここ(この町)では雨も熱い」なんて言うから想像できる(それだって別に、言われずに想像したいところだけれども)


▼サヨナラの代わりに


一人で用を足せないことを揶揄するエイミー・ロッサムに対しヒラリー・スワンクが言う、「私は介護が必要な大人」とのセリフが印象的。介護を要することと大人であることとは両立する。介護を必要とする人間は「自分であること」をあきらめなければならないのか、そういう人間とそうでない人間との関係は特殊なものにならざるを得ないのか。この映画では、「自分の意思を表し実行すること」の大切さと共に、それは自由がきかない者だけでなく、あらゆる大人にまつわる問題であるということが描かれる。誰かの意思を尊重するということは、本人だけでなく周囲の者にも覚悟と努力が必要だということも。


スクリーンで超久々に見たエイミーは、何もかも「完璧」なヒラリーとの対比で怠惰を表す二重顎(に見せて)の登場。車の中で祖母の話をする時の目がとてもよかった。ジョシュ・デュアメルも物凄くいい役なんだけど、この映画を見ていると、「いい役」というのも考えたら変な言い方で、だって大抵の映画においてはそんなもの、それだけでは存在し得なくて、周囲との関係がよく描かれてるから「いい」んだもんね、などと思う。ついでにエイミーの方の相手役、ジェイソン・リッターはしょぼい東出くんみたいに見えた(笑)


▼裁かれるは善人のみ


「立ち退き映画」収集家として見てみたところ、本作ほど立ち退きをうまく取り入れてる映画ってないと思った。「立ち退き映画」の中には、単に「立ち退きを迫る方が悪い」という薄ぼんやりした信条に立脚しているものもあるけれど、この映画はその点、はっきりしてるから。映画のラストが「自然」の凄さを収めた映像であろうと、目的をもって鎌首を振り回すボルボの車より恐ろしくは決してない。


とにかく全篇面白く、ロシアの映画を見る機会が少ないから余計面白く感じたのかなとも思ったんだけど、ロシア(のあの地方?)ならではと感じた要素…例えば壊れた教会での焚き火(主人公のコーリャによると不良行為らしい)、串刺しの肉がでかい!なんてことも後に効いてくる。それにしても「銃が二丁あれば共有しなくていいだろ?」なんて、なかなかのセリフだよね(笑)


冒頭、妻のリリアが朝食の後片付けをし、着替えて顔を整え、窓辺の鉢に水をやる姿に、彼女は毎日ここで何をしてきたのだろうと思う。妙なところに引っ掛かるもので、彼女がテーブルを片付ける時、置いてあるものをずらしたりはせず、新たに出たくずだけを片付けるのが気になり、そりゃあそういうものだろうけど、なんというか、そういう生活ってあるよなあ、なんて考えてしまった。


▼氷の花火 山口小夜子


私は山口小夜子の良さがよく分からず、本作を見てもそんなに分からなかったんだけど、愛すべき人だったことは分かった。最後の企画をふーんと見ていたら、ある瞬間に涙がこぼれてしまった。「小夜子」が出ていないあの数分に「小夜子」が詰まっていた。


曇天の中のスカイツリーに首都高なんて「山口小夜子」には全く繋がらない映像に始まる、全然気張ってない映画なんだけど、偶然なのか何なのか、エンドクレジット後の小夜子本人の言葉が作中抱かせる全ての謎を解き明かしてくれる。ああ、だから、そういうふうに彼女はあらゆる方へ手を伸ばしてきたんだと分かる。口角の上がり具合がすごくて、本当に努力の人だったんだなあと思う。超どん欲な文化系少女って感じ。


作中最初に小夜子が話し始めた時から、彼女は「普通」の人と違ったと皆が散々言っているのに、その話しぶりに物凄く「時代」を感じて意外な感じがした。でも考えたら、当時の文化を目一杯吸収してアウトプットしていたんだから、そりゃそうだよね、あの時代の人なんだよね。