顔のないヒトラーたち



会員サービスデーとはいえ、上映開始直前に着いたら最前列を残して満席という盛況ぶりに驚いた。そう、「盛況」という言葉が似つかわしい「エンタメ」ものだった。しかし「困ったことに」とてもチャーミングな映画で、面白く見た。


映画は子ども達が「こんなに素晴らしい国はない〜」などと歌いながら遊びに興じる場面に始まる。「1930年生まれだから戦争犯罪は起こしていない」と半ば茶化される主人公ヨハン(アレクサンダー・フェーリング)以下の世代が「アウシュヴィッツ」を知らなかった、ということを私は知らなかった。記者のトーマス(アンドレ・シマンスキ)に「検察官なのに恥じるべきだ」と言われた彼は早速図書館に出向くが、関連書のうち一冊は絶版、一冊は取り寄せに10週かかるという。このことの「意味」(何らかの意図があるのか?)も私には分からなかった。


「大学を主席で卒業した」見目麗しいヨハンが、冒頭とある絵を「しまう」が、結局「出っぱなし」だし、クローゼットの扉がしまらないだろうというところで惹き込まれた。おそらく父の形見のくたびれた鞄と身軽な「足」。書類を受け取ると、建物を出てすぐ表の階段に腰かけて読む。トーマスととある書類を「拝借」した後に当然の様に揃って同じことをする場面で、彼らが似ていると分かる。こういうところが面白い。トーマスといえば、彼が車に花を一輪のせているのが印象的で、後で色々思う。


元大隊の父を持つマレーネ(「ハンナ・アーレント」のフリーデリーケ・ベヒ)が「父は月に一度、戦友を招いて騒ぐ」と告白し、戦争により家族の分裂が起こる(「知らない方がいいこと」が白日の元に晒されると言うのが正しいだろう)と実感させられた後、ヨハンとマレーネは初めてベッドを共にする。こんな「通俗的」な場面に繋げるのかと思いきや、彼女が枕元の照明にシーツを掛けるなんていうちょっとした描写が魅力的でまた惹き込まれる。さらに終盤、彼もやはりその闇を抱えていたことが判明する。


しかし一番心に残ったのは、映画の最後に出る文章の中の「起訴された中で後悔の念を示した者は誰もいなかった」というもので、私はそれにより「迷宮(原題は「Im Labyrinth des Schweigens(沈黙の迷宮の中で)」)」に陥ってしまった。もともと「そういう者」がそうなったのか、それとも違う理由でそうなったのか、それについて考えちゃダメなのか。映画の方は、ヨハンが「迷宮」の中で一旦は自身を見失う(これが「肉体的」に表されるのが面白い)も取り戻す過程を肯定的に、当然のこととして描いているけども。尤も「お仕事映画」ゆえかもしれない(彼はあくまでも「検察官」だから)


冒頭、ラジオから「ドイツの女性はいまだに夫の許しがなければ働きに出られない」という女性の語りが流れてくる(=字幕が付く)。映画は一見女性差別を感じさせないが、確かに主人公の仕事周りに女性は「秘書」しかおらず、マレーネが買った最新型のミシンには「主婦が夫を喜ばせるもの」との宣伝文句がついている。「一見」の平穏の奥にある問題という点では作品のテーマに通じるように思う。


舞台は1958年。タオルやクッション、毛布などの何でもないファブリックも、心動かされずにはいられないほど可愛い。検事総長(ゲルト・フォス)のオフィスや自宅のセンスの良さなど近年見た映画の中のインテリアでも群を抜いており、そんなところもある意味ノイズになってしまった(笑)