イン・ユア・アイズ 近くて遠い恋人たち



「カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2015」にて観賞。
いや楽しかった。映画を見ていてこんなにも、神様、二人の味方をして!と願ったのは久々。といっても全然辛気臭くなく、軽い。でも嫌な軽さじゃない。「セックスシーン」も楽しい。何の変哲もない映像だけど、設定であんなにも、してみたいと思えるなんて。「Her」の声だけのセックスの快楽と、どちらが想像するの、難しいだろう?


映画が始まると、雪の中の少女と学校での少年の様子が交互に映る。そりを握る少女の手が、「good work!」のテストを返してもらった少年の手に伝わり、彼女が木にぶつかると、二人とも気を失ってしまう。
タイトルが出て、成人した二人の様子が交互に映る。レベッカ(ゾーイ・カザン)はドレスも口にするものも「保護者」の夫に決められる豪邸での暮らし。ディラン(マイケル・スタール=デビッド)は保護観察中のトレーラー暮らし。前者はニューハンプシャーの寒色、後者はニューメキシコの暖色。いつか混じり合うのかなと思っていたら、終盤彼女が真っ白になった時、二人は互いに向かって走り出す。


オープニングの一幕で悪友に付き合いビールを飲んでいた賢い小学生は、大人になっても変に気が良く、同じ(!)悪友とつるむばかりか彼らをかばって刑務所入りまでする。両親に苛まされていた少女は、自分を救ってくれた新たな「保護者」から離れられない。今でもたまに起きる「あれ」の影響もあってか生活は「どうもしっくりいかない」ようだけど、二人とも辛気臭くないのがいい…いや、鈍麻していたんだろうか?「繋がり」を得た二人は、「時差」はあれど、これじゃあいけないと思い始める。
始めのうちは気を遣って人のいないところで喋っている二人が、そのうちカフェやバーで堂々と(周囲から見れば)「独り言」を言うようになる様子には、自分だってもしかして、ああいうふうになったら、ああいうふうになるかも、と思ってしまった。いつだって人は淵にいるんだって。


体や環境によって「心」が成る。例えば映画を見に行く時、背の低い私は前に人がいると困るけど、背の高い人は誰かの前に座る時に困るでしょ(これはこの映画に合わせた「軽い」例ね・笑)二人は「他者」を経験することで変わったのだと思う。ああいう「テレパシー」は無理でも、他者を知ることで閉塞的な状況を変えることが出来るんだと思う。なかなか踏み出せないものだけど。
レベッカがディランにするアドバイス「女は持って生まれたものを褒められても喜ばない、行動や持ちものを褒めて」というのは私もその通りだと思うし、レベッカのその思考、ディランのなるほどそうかと思う素直さも肝心で、「持って生まれたもの」に留まらない二人だから変われたんだろう。


役柄にぴったりすぎるゾーイ・カザンは魅力的な目から登場。首の皺のせいもあってか最高に可愛いカメみたい。とあるシーンでサイドミラーに映る顔が魅力的(彼の方も同じ画があるんだけど、もうちょっとかっこよく撮ってあげれば…笑)お洋服もどれも素敵で、巻物がとくによかった。ベージュにピンクが入ったあのストール、超欲しい!(といってもあの後、彼女はああいう服は着なくなるのかな…)