イタリアは呼んでいる



公開初日から連続6日間、全回満席!というので少々時間を置いた平日に観賞、それでもル・シネマは満席だった。マイケル・ウィンターボトム×スティーヴ・クーガンの映画にそんなに人が入るだなんて、嬉しい半面、変な感じ。


テレビシリーズの劇場版である前作「The Trip」(邦題「スティーヴとロブのグルメトリップ」)をソフトリリース時に観賞するもすごく面白いとは思えず、続く本作「The Trip to Italy」はもっと面白いから日本でも公開されるのかなと期待していたら、前作の方がよかった。作中のロブ・ブライドンいわく「(自分達が「有名人」であるイギリスと違い)ここなら薄くなった髪を梳かしつける必要もない、リラックスできる」とのことで、それが煩さに繋がったのかな。テレビじゃなくスクリーンで見たから煩さ倍増、というのもあるかも(笑)


テレビの方が合ってると思うのは、基本的に「ローカル」な作品だからでもある。あからさまな「映画」ネタがどうこうというより、二人のあらゆる言動につき、「イギリス人」ならばもっとぴんとくるのではと思う。「日本人」によるこういう作品なら私にも分かるんじゃないか、その場合、作中引用される日本文学はどんなものになるだろうと想像した。


映画はスティーヴの携帯電話の着信音で始まる(中盤に「それ」と確認できる)。「売ることにした」自宅のベランダで「仕事」についてやりとりする間、周囲の風景はぼんやりしている。タイトルが出るまでの1分そこそこでウィンターボトムの映画だと「分かる」んだからすごい。ラストシーンの海しかり。ちなみに私が本作で唯一「気持ちがよかった」のは、イタリアの景色でも遺産でも料理でも何でもなく、ラスト直前、スティーヴの息子がボートに横たわる場面。感覚が体に伝わってきた。


旅行中にものを食べる時、二人は必ず一緒だ。食事シーンのカット割りがめちゃくちゃ細かいのが、最近そういう映画を見ていないから新鮮だった(アドリブを繋いでいるからかな)。でもってその度にポーズを決め直している(ように見える)スティーヴ(笑)冒頭テーブルの端をぐいと掴んでたのは、旅の始まりでまだ緊張してるという演技かな、なんて思ってしまった。


この映画の一番の見どころは、「物真似はもうやめろよ」と言っておきながら、作中最初のロブの物真似が始まると、他の映画ではおよそ見られない優しさでもって(まあ、嫌な奴の役が多いからね・笑)彼を見つめるスティーヴの表情だ。ロブがスティーヴに「誰みたいになりたい?」と「マイケル・ブーブレを早く紹介したくてたまらない司会者」の役をする場面なんて、スティーヴの顔が柔和すぎてびっくり(笑)


有名な観光地に着くとスティーヴがロブの写真を撮る、というのが繰り返されるのが面白い。「はい、チーズ」的なセリフは一切無く、ただただお喋りが続く。スティーヴの「(この写真は)傑作じゃないが情報は伝わる」という台詞が気に入った(笑)「なぜ写真を撮るんだ?」と問われ「千の言葉に勝るから」と答えるロブが終盤には頼まなくなるのは、映画出演が決まったからだろうか?


マイケル・マンのスリラーの脇役の候補になった」ロブは鏡に向かって台詞を繰り返す。前作で自身の芸に焦ってやはり鏡の前で練習していたスティーヴは、「この夏から秋までは休業」とかで早々にベッドに入りバイロンを読んでいる。「女」に対する二人の態度が「逆」になっているのも含め、単なる役の交換なのか、現実を反映してるのか、どうなんだろう?あるいは本作が「フェイク」ドキュメンタリーであるということの念押しかな(笑)


旅先で知り合う女性は「料理」「景色」などと同等の「女」という単なる対象だけど、登場する女性のうち「仕事仲間」で「妊娠中」の、彼らにとって「女」ではないマネージャーとの場面のみ、「人間同士」のやりとりがなされる。前作では芸人としての悲哀が描かれていたのが、本作が醸すのは中年男性のそれだから、私としては、男は哀愁を面白可笑しく取り上げてもらえる作品がたくさんあっていいよね、と思ってしまい乗れなかった。いつか女二人のこういう映画が見たいなと思う。そういうのはイギリスよりもアメリカが先かなと思うけど、出演者、誰がいいかな(笑)