パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間



公開初日、新宿武蔵野館にて観賞。


1963年11月22日、ケネディ大統領のパレードの朝。パークランドメモリアル病院の看護婦長ドリス(マーシャ・ゲイ・ハーデン)が鏡の前でナースキャップを直すカットと、ダラスに向かうケネディが帽子を被るよう勧められてジョークを口にするカット。ラストの、ある人物の棺が埋められようとしている場面と、彼に関するある物が葬り去られようとしている場面とのクロスカッティング然り、「事実」であろうものを題材に、「映画的」な面白さも随所に織り込まれており、飽きずに見た。


登場人物の政治的信条が(映画を見る限り)さほど明確にされないのがいい。誰かが暗殺されるという事件の前には、特に色んな意味で「身近」だった人々にとっては、それよりも大きなものがあって然るべきなのだ。
シークレットサービスを率いるフォレスト(ビリー・ボブ・ソーントン)は「守るべき者を初めて失った(I lost my man)」と吐き捨てるように言う…ジャクリーン夫人の居る前で。医師のジム(ザック・エフロン)が心臓機能停止後も一人でマッサージを続けるのは、「新人」ならではの対応なんだろうか?
30メートルの距離から8ミリカメラで「現場」を撮影したザプルーターポール・ジアマッティ)は、唯一面会した「LIFE」誌の記者に対し「(大統領が亡くなったら)私のAmerican lifeが終わってしまう」と語る。現像したフィルムを確認する度、冒頭に入っている孫の映像、すなわち移民を親に持つ彼にとっての「American life」の象徴、結晶を目にしなければならないというのは「事実」なんだろうか?とても心に残った。


見終わって同居人いわく「アメリカの人権意識に日本は何十年かかっても追いつけなさそうだな…」。コダック支社の社員が「(プリントが)ダメになるかもしれませんがいいですか」と確認の上で一存で現像を引き受けたり、フォレストがザプルーダーに「このプリントの権利は何があってもあなたのものです」なんて言葉を掛けたり、特に「個人」を重視する「アメリカ」らしさが随所に表れている。どこまでが「真実」だか、それが「いい」のか断定はできないけど、最近の日本の色んな事件を考えると、羨みたくもなる。たとえその「民主主義」の地面の下に何らかがあったとしても。


それにしても、こんな題材であれ、「映画」に死体(正確には「棺」)が出てくると笑ってしまいそうになる。ワシントンに遺体が搬送されようという時、ダラス警察の監察医が「my bodyを持っていく気か!」と怒鳴り込んできて揉める場面、棺を待ち受けるエアフォースワン内で「どこに積むんだ」「荷物みたいには扱えないぞ」と困ったあげく座席を外す場面、更に棺の大きさに合わせて機体を切断して運び込む(あんなに簡単に切れるんだ!とびっくりした)場面。「死体」が原因で生きてる人間が右往左往する様子には、どこか滑稽さがあるものだ。