ゴジラ 60周年記念デジタルリマスター版



公開初日、TOHOシネマズシャンテにて観賞。
来月公開される「GODZILLA」のオリジナルグッズのドリンクカップを同居人が購入。終映後に明るくなってから、思わず、大変だったね〜と背中を撫で撫でしてしまった(笑)


ゴジラ」を自宅のしょぼいテレビでしか見たことがない私は比べるべき「元」を知らず、「デジタルリマスター」による変化が分からなかった。でもオープニングの音楽とゴジラの咆哮はすごかった!全編に渡って、セリフがはっきりと聞き取れるのも嬉しかった。
60周年かあ、と思いながら見てたんだけど、私が初めて劇場で見た「E.T.」は84年に公開されたから、「ゴジラ」と「今」のちょうど中間の映画なのかとふと気付いた。確かにそんな感じだ、と思う(後で教えていただいて確認したら「E.T.」は82年公開だった、まあ中間「位」ってことで・笑)
「模型」の街並も楽しいけど、当時の東京がスクリーンで見られるのもいい。新宿も(確認出来たものでは)二回映る。一度目はお馴染み東口の、高野に伊勢丹、ワシントン靴店など、二度目は新聞社の窓から見える西口の風景。まだ何も無い!


電流作戦のくだりで、「防衛隊」の面々が戦車等に乗って次々出発する場面(ゴジラのテーマが長々流れる)には涙がこぼれそうになってしまった。なんだかよく分からないけど赴く彼らと、分からないどころじゃないゴジラが対決せざるを得ないなんて哀しい。世界ってそういうものなんだ。
それまで「地方」が舞台だったのが、初めて「東京」が映る時、新聞のアップにかぶる光や音声でで電車の中だと分かる、ああいうのって好きだなあ。でもって乗客の女性の「せっかく長崎で命拾いしたのに」というセリフ。後には有楽町の街で子ども達を抱える母親の「お父ちゃんのところへ行ける」というセリフ。どこをどう切っても反戦映画だった。


「昔」の映画を見てると、女は仕事をさせてもらえないから、特に何かするわけでもないのに(少しは手伝ってるけど/金にもならない「調整」役はするけど)「娘」や「妻」、「恋人」なんて理由で問題の中心に居るので奇妙に感じられる。上映前に流れた「GODZILLA」の特報じゃ、渡辺謙の助手役のサリー・ホーキンスが出ずっぱりであれこれしてたから余計。まあ「60年」の間の変化は大きい。
ゴジラが水爆の落とし子である」ことを隠蔽しようとする与党の議員は全員「男」、それに抗議する菅井きんの属する野党の議員は8割方「女」というのは、「そういう党」では「女」でも議員になれるというのを示してるにしても極端に思われたけど、当時はどう受け取られたんだろう?
ちなみにこの場面、志村喬演じる山根博士が登壇する際にネクタイを直す姿がいい。同居人もそのシーンが好きで「あれは役者の力だ」と言っていた。


それにしても、「水」というのは魅力的なものだ。芹沢博士宅の入ってすぐの小さな水槽、実験室のあの水槽(終盤、男達の争いがその後ろで行われるという場面の素晴らしさ)、私が水槽に惹かれるのは「海の模型」だと感じているからだろうか、なんてことをふと思った。