世界の果ての通学路



シネスイッチ銀座にて公開二日目に観賞。
フランス制作のドキュメンタリー。学校へ通うのに、ケニアのサバンナを象に遭遇しないよう駆け抜ける兄と妹、アルゼンチンのアンデス山脈を馬でゆく兄と妹、モロッコアトラス山脈を四時間歩いて寄宿学校へ向かう少女、インドのがたがた道を急ごしらえの車椅子でゆく兄とそれを押す弟二人。4つの「通学」の様子が描かれる。


オープニングにテロップでいわく「彼らは皆、彼らの世界、真実の世界のヒーローである」。そうするとこの邦題はあまり合っていないような気がする(原題は「Sur le chemin de l'ecole」=「学校へ行く途中」)。彼らにとって彼らの通学路は「世界の果て」なんかじゃない、ということを言っているわけだから。でも「私達」にはそう見える、という姿勢は真摯だと言えなくもない。だからこそ「映画」になり、私が興味を持って見るんだから。ともあれ画や音楽からちょっとしたモンド感を受けたのは、父親の「象に気を付けるんだよ」という言葉に、彼らが象に遭わないよう祈る反面、撮影中に象が現れなかったらどうするんだろう、と考えてしまった私の心の反映か。


冒頭、砂を懸命に掘る手。やがて水が出てくることが、私は「遊び」の経験から分かるけど、その手付き、顔付きは「遊び」じゃない。ケニアの少年ジャクソンはその水を飲み、顔を洗い、ポリタンクに入れる。兄と妹はフタの無いそれを共々持って出発する。どの通学にもそれぞれの「持ち物」がある。アルゼンチンのカルロスは馬の鞍に敷く革に修正液?で名前を書き、モロッコのザヒラはニワトリを一羽かばんに入れる。一週間分の「食糧」になるのかなと思いきや、学校を目前にした市場でお菓子と交換する。ニワトリ一羽はお菓子に換算するとあれだけなのか、と分かって面白い(笑)


子どもら自身も「waste」という言い方(英語字幕だけど)をするように、通学途中には、言うなれば「無駄な時間」というものがある。象をやり過ごさなければならなかったり、乗せてくれる車を待たなきゃならなかったり、壊れた車椅子を修理しなきゃならなかったり。そういう時、彼らが手遊びしたり果実を食べたり歌ったりする様子が美しい(三兄弟の二男のみ、にこにこ笑いながらも気をひきしめてるのが可笑しい・笑)
「待ち合わせ」地点に友達が現れるのも、そっか、他にもそんな子達がいるのかと視点が広がる(尤も世界でも最多難な子達が選ばれているようだけど)。そもそも「水辺」ならともかく、カルロス達の待ち合わせなんて荒野のど真ん中なんだから、場所が分かるのがすごい(笑)


「登校前の情景」で、殆どの家庭で「学校」についての会話がなされる…親達の学校に対する言葉が作品に取り入れられているのが印象的だった。ジャクソンの父親は「学校に祝福を、ペンが幸せをもたらしますように」。ザヒラの家では読み書きを習わなかった祖母が「当時は今とは違ったんだよ」。ここに出てくる子ども達はいずれも、学校への強い思いを親と共有していることが分かる。それって大事なことだと思う。