クロワッサンで朝食を




「何をしてるんだ?」
「…私の思い出よ」
「僕ならここにいるのに」


原題「パリのエストニア人」の通り、パリでのエストニア女性二人の交流を描く。
オープニング、雪の積もった静かな夜の街が車窓風景だと分かる。目を閉じ気だるそうな女の横顔。バスを降りると面倒な男が声を掛けてくるが、彼女は彼の名を呼び、助け起こして一緒に帰る。辛気臭くはないが辛抱強い人間のようだ。
パリでの家政婦の仕事の話を受けた彼女は離れて暮らす娘に相談するが、よかったじゃないの一言。部屋のテレビには白いレース、棚には世界地図。よその国を訪れたことはあるのだろうか?仕舞い込んでいたカセットテープを日本製「tensai」のデッキに入れると、パリへの憧れが解き放たれる。その曲…ジョー・ダッサンの「Si tu t'appelles melancolie(メランコリーと言うのなら)」がリズムに乗り始めた時、彼女は空港に居る、物語が動き始める。


映画は冒頭からずっと曇天か夜、アンヌ(ライネ・マギ)がパリに着くのも暗くなってから。独り暮らしの老婦人フリーダのアパートで、雇い主のステファンに「履いたままでいい」と言われたブーツを「エストニアでは脱ぐんです」と脱ぎ、前任者の「薬棚には鍵を掛けて下さい、一度に飲んで自殺未遂をしたから」との言葉に「なぜそんなことをしたの?」と問い返すあたりで、アンヌの意思が見えてくる。このあたりから面白くなってくる。
アンヌはフリーダに会うより先に、マントルピースの上の若い頃の写真を目にする。モノクロのジャンヌ・モローに思わず息を飲む。今年観た中じゃスタローンの「バレット」もそうだったけど、スターの昔の写真を取り入れた映画って、それだけで嬉しい。
アパートのインテリアや小物のすてきなこと。一番心に残ったのは部屋ごとに違うドアノブ、それらを捉えたカットではめいめいが物を言っているよう。フリーダの寝室には金色の花。中をのぞくと、彼女は自分を抱くように、あるいは誰も侵入してこないように、腕を丸めて横になっている。翌朝も、ストッキングを着け口紅をひきながら、カーテンを閉めた暗い中で同じ格好で居る。こうした仕様は「フリーダ」なのか「ジャンヌ・モロー」なのか、正直分からない。


作中初の晴天は、フリーダの提案で二人がカフェに出掛ける日。本作はジャンヌ・モローに「触れられる」妄想の出来る映画でもある。バーバリーのコートを譲り受け、ストールを巻いてもらったアンヌは、初めて膝下を出して歩く。別の日には、ドレッサーの横に呼ばれ頬を手で撫でられる。
「最後に男と寝たのはいつ?」「好きな相手じゃないと嫌なんです」「美男のインテリでも?もっと自分を大事にしなさい」などとジャンヌ・モローによる「人生、男が無くちゃ」論もたくさん聞けるけど、映画の雰囲気として、それが「絶対」というわけじゃなく、単に色んな人がいるって感じなのがいい。
でも見終わって強く思ったのは、この映画は勿論ジャンヌ・モローありきだけど、彼女のような「特別」な女優じゃなくたって、こういう役が出来る、皆に受け入れられる、そういう世の中だったらいいなあってこと。普通の女が男好きってのがいい。


アパートに到着するも「フリーダに会うのは明日の朝でいい」と言われたアンヌは、再び靴を履き、夜の街に出てみる。凱旋門に唇の端をあげ、ショーウィンドーのドレスに顔を重ねる。後日フリーダにクロワッサンを放り投げられ(あれは私だって食べたくない!笑)紅茶をわざとこぼされても、「散歩にでも行ってくれば?」と言われればめげずに外へ出掛ける。地下鉄?の車窓に突如現れるセーヌ川、人でいっぱいのエッフェル塔、ステファンが経営する、多分パリのどこにでもあるような、居心地のよさそうなカフェ。これらの「ベタ」な要素に彼女が触れる描写が、どれも素朴で楽しい。
そして彼女は最後、パリを自分のものにするのだった。それが「邦題」に表れている。当初パリの観光映画だったのが、パリに住まう人の映画になる。


フリーダがクロワッサンを食べる場面でこちらの口元が初めて緩むとアンヌもようやく笑顔になり、こういうところでセックスしたいなと思うと、描写は無いけどちゃんとセックスしてくれる。こういう映画はいい。
後者の場面では、性的な空気がスクリーンからほとばしっている。後にフリーダがステファンのシャツのボタンを外す場面もしかり、予告編からは想像し得なかったけど(笑)近年観た映画の中じゃ一番って程、セックスの匂いを感じた。
「言い争い」という意味じゃなく、ばんばん核心を突き合う会話も気持ちいい。アンヌとステファンの「死ぬのを待ってた」という互いの告白。アンヌとフリーダが初めてストレートにぶつかる場面において、それぞれ違う理由でだけど、気張って着飾っているのもいい。伸びやかに脚を出したアンヌが自分の気持ちをぶちまける。
アンヌの親子関係について、当初「冷た」かった子ども達が連絡を取ってくるわけでも「変わる」わけでもなく、ただアンヌだけが変わるというのもいい。夢中なものが出来れば親も子も遠くなる、そういうものだ(笑)