天使の分け前



公開二日目、銀座テアトルシネマにて観賞。
面白かったけど、ケン・ローチにしては「主張」を伝えるための「作り」がやけにオモテに出てるなと意外な感じを受けた。「エリックを探して」(感想)からの「希望路線」(「ルート・アイリッシュ」(感想)は違うけど)にまだ不慣れってことなんだろうか。


オープニングが面白い。おそらく夜の地下鉄のホーム、駅員の名指し(「名」じゃないけど)のアナウンスにムキになった男はわざと線路に落ちてみせるが、電車に轢かれる寸前に酒瓶と共になんとか這い上がる。スコットランドじゃ白線はあんなにぎりぎりのところにあるの?とびっくりさせられる。これはあくまでも彼の目に映った「現実」、あるいはこの後の物語を暗示してるんじゃないかと思ってしまう。


主人公ロビーは、出産した恋人レオニーに会いに行く際、奉仕活動の指導員ハリー(ジョン・ヘンショー)に「こんな『傷のある』顔じゃどこも門前払いだから」と頼み、病院の中まで付き添ってもらう。このことから二人の関係が始まる。一人じゃ世に出られない若者のために、大人が手助けしてやるべき…という主張は、中盤の、ロビーと、彼とレオニーに家を貸そうと申し出てくれた女性とのやりとりでも強調されている。「なぜ親切にしてくれるんだ?」と訊ねると、彼女いわく「昔受けた親切を返す番だから」。これを聞いたロビーの、赤ん坊を抱いて壁にもたれる姿が印象的だ。
ロビーは病院で、彼をよく思わないレオニーの親族の男達に襲われる。これが作中初めて出てくる暴力。この場面も強力だけど、その後、同行していたハリーが反撃しようとするロビーを必死で止める、二人の顔のアップのわずかな画の方がより力強く感じられる。実際これは、ロビーとハリーの話なのだ。


ロビーと共に裁かれる「仲間」達の犯罪は「鳥を万引きしたあげく殺人犯でも捕まえてろと暴言を吐いた」「記念碑嫌いでいたずらを繰り返した」などの「笑える」もの(おそらくこれまでのものも同様)だが、ロビーが過去に犯した罪は重い。コカインを摂取した状態でほぼ通りすがりの相手を半死半生、片目失明に至らしめたというもの。「被害者との対話」の場で浮かび上がる、この暴力の描写は鮮烈だ。被害者の母親は彼のことを「nothing」と罵る。私はこの場面で初めて、彼がこんな瞳をしていたのかと気付いた。青く澄んでいる。
しかし冒頭、地元の不良達とひと悶着を起こしたロビーは「energyとtalentに恵まれた若者だから」とのことで刑務所入りを免れたのだった。彼にあそこまで重い「過去」を背負わせたのは、これほどの「過去」があっても「チャンス」を与えることが必要だという主張のためだろうか?


レオニーは二人の間の子どもについて「脳はまだ半分しかなくて、あとは親次第。人生で赤ちゃんの時期は一度しかない。この意味は分かるわよね」と言う。仲間のライノはウイスキーについて「去りし日の芳香を抱いた…」と本を引用する。ロビーは「過去」(自分を取り巻く環境や犯した罪)を振り切り「未来」(家族との将来)に生きたいと思っているが、実は「過去」(ウイスキー)に関する才能を持っていた、というわけだ。
ウイスキーに惹かれ熱心に勉強するロビーだが、「過去」が忌まわしいものであるせいか、特に試飲に関する場面においてはそれほど生き生きしていない。どこかひねたような様子でもある。「天使の分け前」をくすねることによって初めて、(その描写は無いけど)才能を堂々と使って生きていけるようになるのだ。


私にとって、ケン・ローチ作品に出てくる人達ほど(老若男女問わず)「自然」に感じられる(苛々させられない・笑)登場人物ってない。本作だって、例えばレオニーに対して、なぜあんな男と付き合ってるの?と思っちゃいそうなものだけど、不思議と全然そう思わない。ダメ押しに、ラストシーンの「やんちゃな男ね、出会った時から…」の一言で霧が晴れたみたいに、そうだよね、だから一緒に居るんだよね、と納得する。その後のロビーのアレも含めて、取ってつけたようだけど(笑)好きだなあ。