マリー・アントワネットに別れをつげて



私にとっては「逆予告編サギ」、想像してたよりずっと面白かった。「愛する人から非情な命令を受けた」ことによるドラマ、というんじゃなく、愚鈍にすら見えた娘が図らずも目覚めてしまう、その時までの物語に思われた。


1789年7月14日の朝6時、今の目で見れば質素というより粗末な部屋で、蚊にくわれた腕を掻きながら目覚めるシドニー(レア・セドゥ)。15分で支度を済ませ、ネズミの尻尾を掴んだ同僚に見送られ「出勤」。一方プチ・トリアノンで寝そべるマリー・アントワネットダイアン・クルーガー)は「ネズミなんてものがいるんですってね」。冒頭から、当たり前だけど二人の立場が全く違うということが、痛いほど突き付けられる。それを考慮すると、物語の終わりは、革命の裏で朗読係も思わぬ恩恵を受けた、と見ることもできる。たとえひと時でも。


本作はまずお仕事もの…しかも勤務地がヴェルサイユ宮殿!のお仕事もの、として楽しい。社員食堂とでも言おうか、盛大にパンの散らばった食卓で、水を飲みながらの食事。同じ宮仕えといっても「主人」はそれぞれ、自らのそれについて仲間に話す際の口調なんてのも面白い。
王妃が朗読係のシドニーに「あっちを読んで」「そこは飛ばして」なんて命じる様子は、まるでipodを使ってるよう。また呼ばれて出向き、話の流れで自分から申し出、張り切って新しい用事をもらったものの、やっぱりダメでした〜と報告すると、本来の仕事を忘れていたことについて怒られる、なんてくだりは、いかにもありそうで面白い。
シドニーは「言葉は私の専門分野」と仕事に誇りを持っているが、その言動は子どもっぽく粗野。演じるレア・セドゥはわざとらしい程ドタドタ走り(作中二度転倒)、ドレスの裾をぐしょぐしょにし、頭や腕をぼりぼり掻く。王妃の前でお尻を向けて椅子を動かす場面にはびっくりした(笑)意外とそんなもの、ということか、同僚とのやりとりから分かるように彼女が「変人」だ、ということか。


登場人物はほぼ女ばかりだけど、例えば「大奥」ものの煽り文句よろしく「女の世界」を強調しているわけではなく、たんにそういう人たち、という描き方なので観易い。
シドニーが心酔する王妃は、朗読係が「会える」時にしか登場しないけど(だから「覗き」場面が多い・笑)、格別「美しく」捉えられているわけではない。といって「醜く」描かれているわけでもない(明らかに「おてもやん」ぽく撮られている場面はある)。その言動も、その身分・立場ならそうするかも、と思われる程度で、きわめて「普通」ぽい。そこがよかった。
また王妃はシドニーとポリニャック夫人の「若さ」に惹かれている、と口にし、実際そのようだけど、いわゆる「女」がフィクションにおいて「若さ」に執着するのとは違う感じで、結局のところ、人は権力があると「オヤジ」になれるんだな、と思った。


シドニーの直属上司?に当たるカンパン夫人がいい。自分の方が王妃のことを知っている、役に立っているという気持ちもあり不躾な態度を取るシドニーに対し、「(命令の)理由は聞かないこと」などと四角四面、年の近い同僚の、王妃に対する文句は何も言わず聞き流す。いわく「宮廷に友達なんていない」。しかし物語の最後にはシドニーに対し、「頼まれても断るのよ」と初めて自分の気持ちを口に出す。
またフランス革命に関する知識がほとんど「ベルサイユのばら」による私としては、「頭にクモの巣をつけて」散歩しているルイ16世はまさにイメージ通りだった(笑)「権力は世襲による宿命だと思っていた/王のマントの下に隠された呪いだと…」というセリフは、実際に「彼」によるものなのかな?