隠された日記 母たち、娘たち


現代のフランス。医師のマルティーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)が夫と暮らす田舎町に、カナダで働く娘のオドレイ(マリナ・ハンズ)が戻ってきた。かつて彼らが住んでいた家は寂れていたが、オドレイは手を入れて滞在し始める。そこで彼女が見つけたのは、50年前に姿を消した祖母ルイーズの日記であった。



予告編から辛気臭い印象を抱いてたけど、観てみたらそうでもなかった。三世代の女が暮らした「家」と、三者三様の「ドレス」。孫の前に祖母が現れ、一緒に収まる画面には心が温まる。海辺の町の、わざとらしいほど寒々しい風情もわるくない。


観ているうち、先日の「私の愛しい人 シェリ」(感想)と繋がった。「シェリ」は女性が財産権を持たない時代の話。時は下っても、まだ、女性は夫の許しなしに就職したり口座を持ったりできない。要は奴隷だ。ルイーズは「女が自由に仕事につけるらしい」都会へ出て行こうとする。駅のホームで一人「ほかの人たちは何故、幸せそうなのかしら?」とつぶやくのが、シンプルながら身に染みた。
誰かを「愛して」いても、相手に合わせるのでなく、自分がよりよい状態でいられる道を選択し、それをきちんと伝えるという生き方って、いいなと思う。互いに反発したり傷ついたりしつつ、結局は三人とも、そうした似た性分を持っているように思われた。


三世代の女たちの普段のファッションは全く違う。時代が人生に影響を与え、性分が加わり、それぞれの生き方が全身に現れる。ルイーズは、夫が服飾関連の仕事をしており自身も興味があるため、(国は違えど)「ステップフォード・ワイフ」的なお洒落な格好。その娘は、ニットやブラウスにタイトスカート、足元は常に素足にパンプス。さらにその娘は、休暇中ということもあるんだろうけど、パーカーやパンツといった部屋着が主。私ならどの格好もしてみたい(部屋着は興味ないけど)。そう思える、そう出来るのって、幸せなことなんだなあと思った。最後のドヌーヴの行為、それについて母が言うセリフには、大きな意味がある。


「過去」の男性(ルイーズの夫)に対し「今」の男性たちは、少々とんちんかんな所はあれど(「ホルモンのせいなんだろ?」とか、ああいう物言い、いかにもって感じ)きわめて「普通」な、私の知ってる男の人たちだ。オドレイのベッドでの「きれいな肌、いいにおい」というセリフがいい。そういう、直接身体で感じることのできる「良いもの」って大切だ。


ドヌーヴが演じるのは「頭がよく、気が強かった」少女が成長したお医者さん。そういう状況だからというのもあるけど、プレゼントの包みやティーバッグの袋を破るなどの「がさつ」な仕草が多々見られる。小さめのソファやベッドに丸まってる姿は、なんだか可愛らしかった。


オドレイのボーイフレンドいわく「俺たちはもう若くない、でもまだ時間はたくさんある」…だから多くの人は、彼女が言うように「疑問だらけの状態を早く終わらせたい」と思ってしまうのだろうか?印象的なセリフだった。