シングルマン


それほどのめりこめなかったけど、面白かった。観た後で色々話したくなる。社会情勢や文学などの「教養」が私にあれば、もっと楽しめたかも。特に舞台となる「1962年」という時代は重要に思われる。



ロサンゼルスを舞台に、16年来のパートナーを事故で失ったイギリス人男性の「ある一日」を描いた、トム・フォード監督作品。
100分間、映像で、さらにはセリフで、休むことなく「意味のある」ことを語りかけてくる…って、全ての映画はそうなのかもしれないけど、とりわけ強く感じる。コリン・ファースが腰を下ろす便器に置かれたティッシュの箱のゆがみ、ジュリアン・ムーアの家の鏡の曇りまでが、目に焼きついて離れない。


まずは美男がたくさん出てくるので、見ていて楽しい。文字通り「最初から最後まで」、主人公ジョージを演じるコリンの美しい脚に目がいく。「スタイルのいい」とはこういうのを言うんだろうなあ。冒頭、お手伝いさんや事務員さんに普段口にもしないこと言って訝しがられたり、皆の方からは「顔色悪いね」と言われたりするあたりは、ちょっとしたコメディの趣。
過去の「男」たちもそれぞれ個性があり魅力的だけど、ジョージに接近してくる男子生徒ケニー役のニコラス・ホルトの、セーター姿の素晴らしさ。妙をたたえた唇は、親指の腹でそっと押してみたくなる。
心に残ったのは、「試した」ケニーと「試された」ジョージが夜の海へと走り出すシーン。先のケニーが柵を軽々と飛び越える。続くジョージは…こちらも飛び越える。まだ飛べる。


ジュリアン・ムーア演じる女友達のチャーリーは、予告編から勝手に想像してたのと違うキャラクターだった。若き日にロンドンからアメリカに渡ってきた彼女は、夫と別れ、子どもも独立し、豪奢な家に一人暮らし。ロンドンに帰るのは「負け」だけど、ジョージとならそうしたいと言う。「あなたは仕事があるからいいけど」「あなたがゲイだからいけないのよ」「過去に生きるのが私の未来、男は違うでしょうけど」。このしみったれた「どうしようもなさ」が、ジュリアン・ムーアの姿を通じてある種の美となっている。いつもの笑い声も映えている。
映画はジョージ目線なので、チャーリーの「ある一日」は、彼と何らかの形でつながっている時のみ描写される。彼女は「早朝」の電話の後、昼下がりに化粧をし、(映ってないけど)たぶん夕方、料理をし、彼を迎える。日々ってこんなふうにも過ぎていくものだ(私ならこんな生活、全然悪くない)。ジョージが自分の人生をコントロールしようとしているのに対し、彼女は「生きてしまう」。お金とわずかな希望ならある。でもあの日の後、彼女はどうしたろうと思う。