華麗なるアリバイ



アガサ・クリスティー「ホロー荘の殺人」の映画化。2007年作品。


私にとっては、ランベール・ウィルソンが「殺されるモテ男」、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキが「その筆頭愛人」というだけで、観たかいがあった。ランベールは足先から、テデスキは手からの登場。ランベールのスーツが似合うこと!あの赤いメモ帳も、あれくらいの男じゃなきゃ似合わない。
冒頭、おしゃべりな女主人ルーシーに起こされた娘が手に取るのは、枕元の時計じゃなく携帯電話。このシーンは原作でもテレビドラマ版「名探偵ポワロ」でも印象的だったので、舞台が「現代」に変更されてるのを妙に感じた。
ルーシー役にミュウ=ミュウ。原作やドラマ版では存在そのものが可笑しな、同時にどことなく怖いキャラクターなのに、この作品ではセリフの内容で笑いを取ってたので残念。彼女なら、あんなわざとらしいこと言わなくても雰囲気出せるのに。個性的な袖のシャツを着こなしてたのは良かった。


以前、市川版「犬神家の一族」を観たときだったか、DVDに収録されてた当時の予告編に「娯楽大作!」というテロップがあったんだけど、おそらく向こうの人(これはフランス映画だけど、クリスティの著作は「聖書に次いで読まれてる」そうだから…)にとってもクリスティって横溝ものみたいな感じで、筋も犯人も分かってる話を、今度は誰があの役を?と期待を持って迎えるものなんだろう。
そういう作品は、俗な「心理学」で説明できるキャラクターが登場するから楽しめるものだと思う。だって「名探偵」がパズルを解くように犯人を指摘するんだから、そういう人物で構成されてなきゃ却って不自然だ。
この映画は、中盤より、原作のそういう作りから離れ、個人がやたら主張してくる。ポワロが出てこないのでどうするかと思ったら、容疑者たちが(主に男女間の感情の揺れから)勝手に動いて事件が解決する。地味な刑事の最後のセリフは「すっかりだまされたな」。これじゃあクリスティの原作を使ってる意味がない。ランベールの水着・シャワーシーンや女たちの裸がふんだんに振舞われ、犬じゃなく猫が出てくるあたりはフランス的だ。


アニエス・ヴァルダの息子、マチュー・ドゥミも出演。「カンフー・マスター」のオープニングは何度も繰り返し観たなあ(笑)