サガン―悲しみよ こんにちは―


また「海」と「死」で終わるフランス映画を観た。



「夜会は退屈だが、印象に残る出来事もある」



起伏やクライマックスはなく、走馬灯のように人生の出来事が描かれる。場面が切り替わると何年、何十年も経っており、生活形態が変化した理由がセリフで説明されるので唐突な感じも受けるけど、エピソードに沿って挿入されるサガン自身の文章が心地良い。
サガンの作品は、中高生の頃好きでたくさん読んだけど、今では内容を覚えていない。本人についての知識はもとより無い。でも作中引用される文章の切れ端のどれもが、心にすっと入ってきた。だから読んでたんだなあ、と思った。


(少なくとも作中では)フランスでは町や田舎の様子も人々の服装も時代差がなく、シルヴィー・テステュー演じるサガンと周囲の者だけが時を経て変わってゆく。とても「個人的」な映画だ。社会や政治の変化も描かれない。ただし、五月革命を報道するニュース番組を観るが、サガンのみが皆と同調せず部屋を出るシーンがあり、実話なのか否か、なぜあのエピソードを取り入れたのか、気になった。



「寄り添う肩が欲しい、そのために人は愛するのだ
 そしてそれを意識することこそ、本当の悲しみ」


彼女が最初の結婚の際に暮らす家は、静かで冷たいアパートメントだ。あんなんじゃ楽しくないよなあ、と思っていたら、やはりその結婚はうまくいかない(いわく「恋の挫折は人生の挫折」)。その後、彼女は800万フランで田舎に衝動買いした家に住み続ける。「後付けの家族」にこだわり、自分の家で、自分を愛してくれる人たちと暮らそうとする。
サガンは「人生をともにする人」を求め続ける。予告編では意図的に?隠されてるけど、彼女が求めるのは「男」に限らない。ただし性行為そのものについては触れられず、いつも人恋しくてたまらず、また新しい物事にときめく快感も欲しているふうに描かれている。映画の内容とは関係ないけど、肩のあたたかさと性的な欲望とを満たしながら社会の中にきちんと納まっていられるって、私にはありえないことに思える。
サガンが最愛のペギー(ジャンヌ・バリバール)を見舞って出てくると、「新しい相手」のアンドリッドが車を泊めて待っており、どこかに出かけようと誘う、その目つきは明らかに性的なもので、このシーンのみ異質な感じがした。


フランス映画らしく、会話の数々が面白い。「意見が合わない」と思えば自ら退場して切り上げることもある。サガンとペギーが部屋の模様替えに際し、テーブルについて話し合うシーンなんて最高。


サガンを看取るのは、彼女の作品などにはおそらく興味のない、年をとった女中さんだ。普段は薬物中毒の主人の面倒を適当に見ていたらしき彼女だが、最後には「私がいます」と涙を流し、手を握る。どんな人でもあたたかさを持っており、誰かに与えることができる。



作中のサガンは、エル誌の編集長であったペギーによれば「パリで唯一の、買い物嫌いの女」だけど、初めての結婚式が白いスーツというのもすてきだし(ウェディングドレスっていいと思ったことがない)、黒いドレスなどはどれも着てみたいと思わせられた。ああいうゆったりめの服は嫌いだけど、私なら肉でちょうどよくなるだろう。裾のすぼまったパンツにペタ靴という、フランスの女の子スタイルは、出来そうもないけど(笑)予告編の最後にも挿入される、家の前の塀に横になって本を読む彼女の姿(画像)はいいなあ。