イントゥ・ザ・ワイルド


テアトルタイムズスクエアにて観賞。平日の夜に満席でした。


1992年、アラスカの山中で遺体となって発見された青年の物語。裕福な家庭に育った彼は、文明から逃れ自分を試すため、全てを捨てて荒野を目指した。



ポスターなどから大好きな「雪山」「サバイバル」要素のある映画を想像していたら、違っていたので中盤まで少々がっかりしていた。主人公クリス(エミール・ハーシュ)が冒頭の卒業式において名前を呼ばれた際、他の生徒とは変わった行動を取る様子にも、あまり仲良くなれそうにない人だな〜と色眼鏡で見てしまう。エミール・ハーシュの、太陽の下で輝く若さは素晴らしいけど、大自然の中で唸ったり走ったりする姿に、独りのときにあんなことするか?(する人もいるんだろう、それに「映画」だし)と、「アメリカ人の男の子」のプロモーションビデオみたいだなと思いながら観ていた。
でも最終章の直前、クリスが川を目の前にした瞬間から俄然面白くなった。「なすすべもない」という言葉が思い浮かんだ。その後ひょんなことから「自分の死」に向き合わざるを得なくなる。生きたいが死んでしまう。人は何かにこだわるからこそ、(傍から見ていると)面白いものだ。


旅の途中での、主人公と人々との関わり合いが面白い。
農場を経営するヴィンス・ヴォーンは、別れの際、クリスに「南へ行けよ」と助言する。しかし彼は革のベルトに「N」と刻み、北の荒野を目指す。ふとカウリスマキの「真夜中の虹」を思い出した。この映画では、主人公は愛する人と共に、仕事を得るためヘルシンキから南へと向かう。生活のために南へ向かう者と、文明から逃れるために北へ行く者。アメリカ人にとって、アラスカとはどういうところなんだろう?と思った。


ちなみに観ている間、一番頭を占めていたのは「文字を記すこと」についてだ。ヘラジカを撃った際、かつて教えてもらったメモを頼りに肉を処分するくだりでは、大げさだけど「人間が文字を発明した意義」を感じた。
クリスは宿を提供してくれたヒッピーのカップルに向け、別れの言葉を砂浜に刻む。山中で一人暮らししながら、毎日ノートに記録をつける。そして「自分の死」に際し、心の内をとある文章にして残す。これらにはどういう意味があるんだろう?
そしてラスト、彼は気付いた「あのこと」を本の間に記す。私なら…あんな状況になったことがないから想像するのは難しいけど、ああいうことはしないだろう。彼には必然性のある行動だった。どういう気持ちに駆られたのだろう?
また、アルファベットはナイフで刻むのに便利だなとも思った(笑)


印象的だったのは、川辺で出会った異国語を喋るカップルの女の子のほうが、水からあがってアイメイクをする姿。男前のお客が来たからというのもあるのかな?ペディキュアもしてたけど、あんな場所にどのくらい化粧道具を持参してたのかな、と想像してしまった。私は「外」でのセックス(的なこと)のとき以外、裸(に近い格好)に化粧をするのは好きじゃないけど、彼女にとってあそこはどういう場所だったんだろう。
それから卒業式の後、家族揃ってレストランで食事をするシーン。両親含め周囲の人々の、食器を遣う音、咀嚼する音が耳障りで、それらから逃れたいという主人公の心情が伝わってくるようだった。そして、おそらく親にしてみれば「無軌道」に見えるであろう若者たちが入ってきたときの、エミール・ハーシュの視線と表情。「対大人」という点では仲間、いやそんな単純なものじゃない、一瞬心を過る複雑な気持ち。ちなみにこのシーンの彼は、かつてのディカプリオのように見えた。


なんだかんだ言っても、最後に実在したクリス本人の写真をみたら、しみじみと愛情のようなものを心に感じた。自分の人間愛を再確認(笑)