JUNO/ジュノ


「保健の授業で習ったもの、妊娠したら子どもが産まれるって」



主人公のジュノ(エレン・ペイジ)は現代の16歳にして、ストゥージズやダリオ・アルジェントを愛する黒髪の女の子。お気に入りのバンド仲間とセックスし妊娠するが中絶できず、養子を望む夫婦をタウン誌で見つけ子どもを譲ることにする。


産むつもりのない人間にとって「妊娠」は怖い。冒頭出てくるスティックを何度か使ったことのある身としては、あんなふうにドラッグストアのトイレで、しかもぶらぶらさせながら出てくるなんて(おしっこかかっちゃう)、気軽な仲間を見たようで安心させられた。その後「ヒモのお菓子」を買うところも可笑しい。
怖いとか痛いとかめんどくさいとかいうことは、オープンになったほうがラクだから、妊娠「的」なことはもっとカジュアルになればいいと思う。そのことと「生命の尊さ」とは別の話だ。


ジュノの趣味に反して、作中流れ続けるのはのんびりした音楽(これは子どもの「父親」の趣味にも通じる)。つまりこれはそういう話なのだ。妊娠とはパーソナルなものだけど、それによって周囲も変化する。ジュノと会話を交わした後のパパや養子縁組を結んだ夫婦のカットが挿し込まれることからもそれが分かる。


周囲の皆のキャラクターが理想的だ。ジュノのパパは辛気臭いことを一つも言わず、養子を望む夫婦が暮らす高級住宅街にいつもの格好で「面接」に出向く。「お前は「ノー」を言える子だと思ってたよ(男のほうに迫られたんだろ?)」と「普通の男」ぽいことも言うあたりがリアルだ(その後妻に「彼から仕掛けたんじゃないわよ」と言われる)。ジュノの話を聞いたあと、夫婦で「何の話だと思った?」と会話するのが面白い。車で誰か轢いたかと思った、ドラッグにはまってるかと思った…それよりまし、というわけだ。
まず顔が好みなのが、友人のリア。冒頭、電話をしているシーンでそれぞれの部屋を確認できるんだけど、ジュノの部屋と異なり彼女のほうは男の…それも微妙なかんじの男の写真ばかり。「december boy」って、プレイガールの中ページだろうか。
ジュノは彼女と、自分の好きな音楽の話なんかをしたことはあるだろうか?きっとないだろう。私も高校生の頃は、女友達とは「男」の話、あるいは笑える話しかしなかった。それはそれだ。


ジュノと養子縁組を結ぶ、夫婦のヴァネッサ(ジェニファー・ガーナー)とマーク(ジェイソン・ベイトマン)。スーツを着こなし二人の写真を飾るヴァネッサは、マークのロックやホラー映画などの趣味を「許して」やっている。何様だと思う反面、私だって男の人にあんなTシャツ着てほしくないし、陳腐な言い方だけど「どっちもどっち」というかんじ。「話し合いは必要」「合わない者同士が一緒に暮らすなら「何か」が必要」ということだ。
(ちなみにこの夫婦のくだりで思い出したのが「マテリアル・ウーマン」('01)。ジャック・ブラックスティーヴ・ザーンが、アマンダ・ピート演じるハイソ系の女性からバンド仲間(演奏曲目はニール・ダイアモンドのカバーのみ)のジェイソン・ビッグスを取り戻そうとあれこれする話)
もっとも、深刻ぶった顔が笑えるヴァネッサは嫌な女に見えず、彼女のその後を描いた映画なんかも面白そうだな〜と思わせられた。教育に反し遺伝子が強くてジュノみたいな子が育っちゃうとか、養子取りまくって大家族の母になっちゃうとか。
マークのほうは作中わりと冷遇されている。自分になついてくるジュノに離婚のことを告げ、彼女が驚くと「嬉しくないの?」と言うシーンなど間抜けなものだ。ラストに彼の「今」があったらよかったのに。


子どもの「父親」であるポーリーには、映画とは関係ないことを思わせられた。
私は10代の頃から、自分にアプローチしてくる男性としか「おつきあい」したことがない(その中から選択している)。すなわち、このままでは「魅力的だけど自分にアプローチしてこない男」と関わらないまま死んでいくわけで、それは可能性の制限だと思うようになった。といってもそのことに気付いてから数年、実行してないけど。
さてポーリーといえば、筋肉もなく生白い体に、口にはいつもオレンジミント。しかしジュノは彼の身体に(性器も含めて)なんてすてきなの、とうっとりし、自分から部屋を訪ねて上に乗り、最後には「好き」と告げる。私には彼が「魅力はあるがアプローチしてこない男」の象徴、のように見えた。タガを外せれば、とりあえずひと時は、それが手に入る。ラストのキスがとてもよかった。