ラスト、コーション


バルト9にて観賞。必要なものしか存在していない映画って、本当に面白い。



日中戦争時の物語。香港留学中に演劇仲間に誘われ抗日運動に加わったワン(タン・ウェイ)は、傀儡政府の協力機関の高官イー(トニー・レオン)の殺害を目的とし、身分を装い彼に近づく。彼の転居のため一時離れた二人だが、上海において計画は再開され、情事を重ねる仲となる。


冒頭、麻雀をする4人の女たち。中国映画を久々に大画面で観たせいか?自分と同じ系統の顔に施されたアイメイクに目がいく。丁寧に入れたシャドウが効果を上げている一人の奥様の顔を見て、普段は目尻にアイラインを入れ上まつげにマスカラを塗るのみの私は、あ〜ちゃんと化粧したいなあ(でもめんどくさいなあ)と思う。
アン・リーの映画には、人物の斜め後ろからのアップが多いように感じる。私はこの角度から人を見るのが好きだ。でもってその角度だと、アイラインの目尻のハネが目立つ。主人公がこうした化粧になるのは、物語中、最後の1年ほどだ。


(この映画の感想を書こうとすると、彼女のことを、本名のワンとも為りすましていた「マイ夫人」とも呼べない。名前がなかったように感じる。だから以下「主人公」とする)


物語の前半、主人公が、いわゆる「飾り窓」を見上げる場面が印象的だった。薄赤い灯りの中に立つ女の姿に、演じることの好きな彼女は、これまでの自分と違う「女」になる面白さを見出したのではないだろうか。そしてそれこそが、彼女の「活動」の第一の原動力だったのではないだろうか。私の中にも、それに似た快感が少しある。人間関係は「プレイ」でもある。好きなことをあれだけ楽しみ、おそらく想定外のものまで得た彼女は幸せだ。
もうひとつ印象的だったのは、イーとの情事を重ねた彼女が、「彼は鋭い男よ、身体だけでなく心まで入り込んでくる…」と、その場の男二人を引かせてしまうほど熱く語る場面。一連のセリフを聴いて、私にとってこの映画のテーマとは、他人とセックスすることで生まれる何か、その輪郭だと思った。もちろんそれは、愛と言えるとは限らない。


(「男」を性の相手とする)私にとって、誰かとする初めてのセックスは、大抵の場合、相手がどのようなセックスをするのか知る機会という意味合いも大きい。主導権を委ねるとまでいかなくとも、現実的には、ある程度相手に合わせて行動せざるを得ない(逆に言えば、相手を変えた場合の面白さは大きい)。そして次第に、互いの性分が表に出て反応し、二人のものになっていく(ならなければ、どちらかが面倒がっているだけだ・笑)この映画でもそれが如実に表れており、きわめて「普通」のセックスに思えた。
そして、我ながら俗っぽいなあと思うけど、肉体関係のある相手と、そうと知らない人たちの前で視線を交わすこと、これには本当に、抗えない快感がある!


チャイナ服というと広告なんかに出てくるのをイメージしてしまう私には、帽子やコート、普通の靴などと合わせて着ている主人公の格好は新鮮に映った。
また、彼女が自室の椅子に座り、友人の前でストッキングを脱ぐシーンを見て、例えばミニスカートでも、タイトなものの場合、脚を出すにはスカート全体をずり上げなければいけないけど、チャイナ服ならスリットがあるからべろんとめくれるので、便利だなと思った(笑)


一番面白かったのは、主人公の仲間達がある人を殺してしまうくだり。リアルでダイナミックで、感動した。彼等は高揚を求めているんだと思った。ただ一人、すでに他の部分でそれを得ている主人公のみが走り去る。
走るといえば、トニー・レオンの逃げ足の速さには同行者ともども笑ってしまった。
印象的だった小道具は、主人公がイーからの電話をとる際に横に置かれた、飲みかけのカップ+食べかけのパン。お茶がまだ熱ければ、せっかくのパンがあれでは湿っちゃうけど(笑)なんとなく可愛らしく感じられた。
いまいち好みでなかったのは、カフェのコーヒーカップとブランデーのグラスに、彼女が残す口紅の跡。どうも汚いイメージがあるから。アン・リーの映画には無意味なところがないと思っているけど、どういう意味があるのか分からなかった。たんなる「色」の象徴なんだろうか。
不思議だったのは、日本料理店で、全ての席に残されていた柿。なぜ?彼女が店側の人間だと日本人に誤解される場面では、胸が痛んだ。
上海の街はディズニーランドのようだった。行ってみたいと思わされた。登場する飲食店も、どれも魅力的だ。


「自分がセックスしたことのある相手の死」について、人は考えるものだろうか。私はある。これまでセックスした相手のほとんどは、名前も知らず、その後の生死なんて不明だ(というか考えない)けど、一人だけ、不慮の死を遂げたと人づてに聞いたことがある。そのとき初めて考えた。妙な気持ちになった。
この映画の主人公の場合、相手がいずれ死ぬという認識でセックスしているわけなので、もし私ならば、それ以上に「妙なかんじ」になる。彼女のベッドの上での微笑み、涙、あらゆる表情や仕草に、それが潜んでいるかのように感じられた。ベッドの脇の銃を見るシーンでは、殺す夢想をしていたのかもしれない。


(ラストシーンでイー、夫人に向かって)



「何でもないんだ。お前は下に行って麻雀でもしてなさい」


(忘れる前に走り書き。うまくまとまらなかった。また後日、書き直すかも…)