以前書いたピエール・エルメのフィギュア、資生堂パーラーの白缶2つに収まった。簡単に取り出せるようにと、同居人が中仕切りを作ってくれた。
ルーヴル美術館展記念のボンボンショコラ。マリー・アントワネットのロゴが内箱に無いのが残念。でも可愛い〜。
それから高野の季節もの、さくらミルクプリン。上の桜ジュレは、求肥ぽくて(和菓子苦手なので)食べられなかった。下はふつうのプリン。当たり前だけど乗ってるフルーツが美味しい。
久々に自分でパスタを作った。照り焼きにした鶏肉と小口切りの万能ねぎをバターで炒めたところに麺を入れて、だしとゆず胡椒で味付けしたのみだけど、美味しかった。私の料理は、野菜などをむりやり使い切ってしまうため大量になるんだけど(人参半分とか、残せない…)、野菜があまり入らないものは見栄えもよい。今後は料理の記録、とっておこうかな…
料理といえば、よしながふみ「きのう何食べた?」を読み返した。
- 作者: よしながふみ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/11/22
- メディア: コミック
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世の中には男と女、男と男、女と女、あるいはそうとも言い切れない色んな組み合わせがあるから、男同士のカップルの、いわゆる恋愛ものじゃない漫画が手軽に読めるというのはいいことだ(モーニング読者で、ゲイで、彼女の漫画を初めて読んだ人はどう感じただろう?)
…にしても、よしながふみの描く人間関係は、いつも「温いな〜」と思えてしまう。この作品(1巻)においても、「なんで僕だけ、一緒に住んでる人のこと言っちゃあいけないの?」のくだり、恋人の「昔の女」を偵察に行くくだり、「今日会ったの、イイ男だったんでしょ?」とつい聞いてしまうくだりなどのぶつかり合いが幾つかあるけど、いずれも「ゲイであること」のカタチから抜け出しておらず、切実さがない。正にこの二人の間に存在する空気、が感じられない。
加えて例えば、DV加害者の妻を見て「あんなに小さくて可愛いのに〜」と言う女性に対し、主人公に「可愛いのは関係ないだろ」と言わせるなど、うまく言えないけど、話の作り手として客観的であろうという姿勢や手際の良さが、私には合わないのかもしれない。
出てくる料理はどれも美味しそうだけど、栗ごはん+さんまの塩焼きという組み合わせは私ならありえない。焼き魚には絶対白いごはん!皮と一緒に食べるのが好き。
それから、がんもとこんにゃくを同じお湯で下ゆでする場合、どっちが先がいいんだろう?←私は少量のお湯を使うので、二度使いはない
昨日テレビをつけたら、「伝説のホテルマン」窪山哲雄が出演しており、卒業したコーネル大学のホテル学科では主に経営学、加えて化学も勉強したと言っていた。例えば揚げ物が美味しく出来ない原因がフライヤーの錆つきであるとか、そういうことを理解するため(このあたりはどうも、分かりやすい例を出しているだけのように感じられたが)。私にはできないけど、そういう料理へのアプローチって面白いなあと思う。奥薗壽子の「初めての料理でも、市販のソースの原材料の欄を見れば(ソースを買わずに)作れる」というのは実践してるけど(笑)
奥薗壽子は料理本で「昔の農家では、大根が取れる時期は大根ばっかり、という『ばっかり食べ』をしていた。それでも365日通してみるとバランスが取れている。だから『ばっかり食べ』賛成」というようなことを書いている。
田舎育ちの私も、子どもの頃は、夏など畑で採れたきゅうりやトマトを朝昼晩と齧ってたものだ。こうした基本食にプラスしての「ばっかり食べ」ならいいかもしれないけど、「昔の農家」が実際どうだったかというと、「メディア・バイアス」によると「野菜不足で短命」。
メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)
- 作者: 松永和紀
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眠れずにカウリスマキの「街のあかり」を観た。劇場観賞時の記録の最後に書いた、主人公コイスティネンの刑務所内での(アキ映画としては有り得ない!)笑顔について、二度目、三度目の時もいまいちぴんとこなかったけど、今回観て、たんに刑務所でいかに時間を過ごしたか示してるのかなと落ち着いた。それにしても、彼のしましまの囚人服姿が可愛すぎる。それから今更ながら、表参道ヒルズの内部って刑務所ぽいなと思った。
映画の話といえば、「テラビシアにかける橋」(感想)について、同行者はその後「あの女の子、亡霊みたいだった」と言っていた。人間離れしているという意味。先日観た「ペイルライダー」のイーストウッドもそうだ。「亡霊とも思える人が出てくる映画」を集めたら面白いかなと思ったけど、私のように「自分が死んだら世界は終わり」=「自分に見えているものこそが真実」というタイプには、そういうの、区分けする意味がないかも。