明日へのチケット


ローマへ向かう特急列車の中で起こる、3つの物語。監督は3人だけど、それぞれの持分が完全に分かれてるわけではなく、舞台は同じ列車、登場人物も重なり合う。これは面白かった〜。
(以下少々ネタバレあり)


▼第1話(エルマンノ・オルミ


飛行機の欠航で、インスブルックからローマまで列車で帰ることになった初老の大学教授。食堂車に落ち着いた彼の胸によぎるのは、チケットを手配してくれた仕事先の秘書のこと。開いたパソコンで彼女宛のメールを書き始めるものの、なかなか進まない。


私がこの話で最も印象に残ったのは、作中何度か出てくる、教授の初恋の女の子の、ピアノの椅子への腰掛け方。薄暗い部屋、こちらに背を向けている彼女のスカートは、やたらふんわりしている。私は子どものころ、ピアノの椅子に座るときは、スカートをぴちっと手でなでつけて尻で押さえるようにしていた。子どもならではの几帳面さでそうしていたんだろう。今は、どんな椅子でも、動きやすいようにスカートを多少ふくらませて座る。彼女は登場人物として、シルエットがキレイに見えるよう、ふんわりさせてるんだろうけど。まあとにかく、そんなことを思っていた。
それから、教授の向かいに陣取る、いかつい軍人の顔が、うちの父親にそっくりで、可笑しかった。彼は座席横に掛けたコートに顔を隠して、混雑した車内の喧騒から逃れようとするんだけど、これも可笑しくて。小学生が、教室で内緒話などするのに、カーテンの裏に隠れるのを連想してしまった。外からどう見えてるかなんて、全然考えてないんだよね。ウェイターが、不味そうなパスタを盛り付けにくる(夕食は食前酒とこれだけ…)のも、給食の「いただきます」の前、余ったおかずを分けて、というより押し付けて廻ってた(教員時代の自分の)ことを思い出したり。



想いを寄せられる秘書を演じた、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ(右画像)。今日名前を知った。
この人の顔が大好きだ。初めて見たのは「ふたりの5つの分かれ路」、それから「ぼくを葬る」。どちらにおいても、すごく印象に残った。仏像のようだとも思うし、男のようだとも思う。いつまでも見ていたい。


▼第2話(アッバス・キアロスタミ


太った中年女性と、その荷物を大量に抱えた青年。親子のようにも見えるし、そうでないようにも見える。切符もないのに一等席に座り、何かというと大声で呼びつける彼女に、青年はうんざり。


「列車」の楽しさを最も味わえたのはこの話。日本のどこかにもありそうな風景。停車時に窓からはずんで見える風景。流れる風景を追ってせわしく動く、青年のビー玉のような瞳。連結部分の上から眺める、くねったライン。


車内で青年が再会する14歳の女の子二人組は、キルスティン・ダンスト土屋アンナといったふう。土屋アンナのほうは、喋る顔を見ているうち、高校のときの同級生に似てることに気付いた。彼女も笑うと、あんなかんじにシワができたものだ。


▼第3話(ケン・ローチ



ケン・ローチ=サッカーの話。スコットランドの冴えないバカ3人組が、愛するサッカーチーム・セルティックの試合のためにローマに向かう。私はケン・ローチが好きだけど、彼の作品でこんなに笑ったのは初めて。


アルバニアの難民一家に切符を盗られた三人は、涙ながらの打ち明け話を聞き、泥棒として突き出すべきか、黙って譲るべきか、散々もめる。彼等の方も「残り一人分」のチケット代さえままならない貧乏旅行。とはいえ「難民」はかわいそうだ。



「テレビで観たんだ、難民はひどい目に遭ってるんだぞ」


映画で「テレビで観た」というセリフが出てくると、「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」で、レニグラのメンバーが「ニューヨークじゃ人が殺されるらしい」などと語り合うシーンを思い出し、つい笑ってしまう。
しかし、この話では、続けてこんなやりとりがなされる。



「サッカーの試合は一回きりだけど、難民は数え切れないほどいる」
「俺たちスーパーの店員の手に負える問題じゃねえよ」


ここで三人が「スーパーの店員仲間」だということも初めて分かる。彼等はその後「ゴタゴタになったらスーパーをクビになっちまう」ということも盛んに言う。どこもそう、程度の違いはあれ、ラクじゃない。


列車の中で皆が買ってるサンドウィッチは、たぶん、日本でもここ数年でよく見るようになった、固めのプラスチックの三角ケースに入ってるやつ。それにしてもデブちゃんが嫌がってた「ハムとマンゴー」ってどんな味なんだろう?