司会者、書類送検の話から


島田紳助が吉本の女性社員に告訴された事件。(まとめページ
詳しいことは知らないので、このニュースに対する意見を言うつもりはないのですが(ただひとつ思うのは、彼女は、なあなあで処理されないように外の世界(法律)に訴えたのではないかということ。それと「暴力使った時点で紳助の負け」というような言い方は釈然としない。人が暴力を使わない理由は「負け」と成敗されるから、というのが社会通念なのだろうか)、上記のまとめページ読んでてふとひっかかったのが、とある業界人の方の日記に出てくる、この女性に対する「親にも手を挙げられたことがない、プライドの高いお嬢さん」という、よくある言い回し。
私だって親にも親以外の人にも手を挙げられたたことはない。大袈裟じゃなく、うまれてから一度も他人に暴力を受けたことはない。これは何か「悪い」影響をうむのだろうか?暴力を受けたことのない私にとって、暴力は非日常のものである。だから、かりに腹のたつことがあったとしても、それを身体で表現しようとは思わない。回路がないからだ。
たまたま私に暴力行使に至るまでの原因がないからだろう、と思われるかもしれないけど(たしかに私の住んでる世界はとてもぬるい)、私は、人が暴力を使うか否かは、受けたダメージのレベルよりも、暴力を使うというスイッチがあるかないかによる部分が大きいと考える。だから、暴力のない環境で育つというのは大切なことだと思う。


ところで、同じくリンク先の下のほうにある明石屋さんまの発言、mp3で実際に聴いてみると、文章で読んだときとの印象の違いに驚いてしまう。そういうのってコワイ。


個人はどこまで、自分が生きる社会に責任を持つべきなんだろう?
そもそも政治とは個人の思想と相反するものだから、矛盾があって当然だと思うし…
私は自分の日常での行動にはすべて責任を持ってるつもり、だけど、色々考えてしまう。


例えば自分のセックスを(いろんな形態で)お金にしてたこととか。
でも、小中学生のときに誘拐されそうになったり、高校生のときは週に何度も痴漢に遭ったり(私だけじゃなく友達もよく遭っていた。名古屋の某私鉄と東山線!)、そういうことした人はその後も普通に暮らしてる、そんなもんだよなあ、じゃあ自分が嫌な目に遭った原因がお金になるってわかったら、嫌な思いした分を取り返したっていいだろう、と思ったって、仕方ないでしょう?というか、私はそう思ってしまったんだな。もちろんそればかりが理由じゃない。どんな背景のセックスであれ、許容範囲内の相手とであれば、私にとっては少なくとも「マイナス」にはならないからだ。
(ここで私が感じる責任とはつまり、自分がそういうことをすることで、女の人が嫌な目に遭うのを助長してしまっているのではないか、悪循環に加担してるのではないか、ということ)
まあ、こうしてPCに向かってると色々考えてしまうけど、実生活では、要因も様々だし、所詮嫌なことはやらないもんだし、何でも結構淡々としてるもんだけど。