愛の落日



マイケル・ケインブレンダン・フレイザーの共演」…私が行かなくて誰が行くんだ、というわけで、週末に予定してたのを待ちきれず観てきました。案の定ガラガラだった…最終の回で5人くらいかな?それというのもこの意味不明の邦題(原作はグレアム・グリーン「The Quiet American(おとなしいアメリカ人)」)と、あとそうだなあ、ブレンダンが美貌(というか体型)を保ってくれてたら、もっと女性客見込めたかも…(笑)


好きな役者さんに対しては、声も聴き慣れて愛着持ってるもんだから、たとえばテレビの洋画劇場で吹替え版「ハムナプトラ」やっても、私の場合ほぼ2時間ずっと「こんなのブレンダンの声じゃない…」と違和感抱き続けるはめに。今回はその「聴き慣れた声」が2つ、一瞬だけど目を閉じてまで堪能してしまいました。ケイン様のコックニーなまりの英語は、私にもなぜか結構聴き取れる。ちなみにブレンダンはフランス語やベトナム語も(私の耳には)流暢に話してました。
それにしても、二人が並んで歩いてるの、背の高さも顔の大きさも、背中の広さもほぼ同じくらいで、自分で自分の男の好みに笑ってしまった(そりゃあブレンダンにはあと10キロは(略)でも白いスーツは似合ってたよ)


1952年、仏領下のサイゴン。ロンドンタイムスの特派員トーマス・ファウラー(マイケル・ケイン)は、妻がありながら現地の女性フォングと暮らしていた。アメリカから医療援助のためにやってきたパイル(ブレンダン・フレイザー)に若き日の意気盛んな自分を見、親しくつきあうようになるが、彼もまたフォングに思いを寄せるようになる。


愛する人の前では静かにふるまいながら、その実、彼女と現地に残るためなら銃弾すら怖れず前線に赴くケインと、惚れてしまったら友人の愛人であろうが正々堂々と告白するブレンダン。しかし、互いにその顔が崩れるときが…
…この邦題はほんとによくないね。たんなる三角関係の話みたいじゃん?後半は政治スリラーなのに。
テロが起こり、ケインが「窓辺で本を開く」まで、そしてその後、ブレンダンが逃げ惑うシーン、ずっとドキドキしっぱなしでした。とても面白かった。
このへん、詳しく説明すると観る楽しみを奪っちゃうから、書けないけど…


ブレンダンは出演作のほとんど、いや8割くらいにダンスシーンがあるのですが(「くちづけはタンゴの後で」「ジャングル・ジョージ」「モンキーボーン」など…おススメは何といっても「原始のマン」と「タイムトラベラー/きのうから来た恋人」)、いずれも「ダンサーのように上手い」「運動神経が良い」ふうには見えないんだけど、とても生き生きと楽しそうに踊る。でも、今回はダンスが下手(な役)。ケインに愛人を紹介されて一緒に踊るんだけど、彼女の姉にも「下手ね」と言われてしまうほどのぎこちなさ。この時点でもう(映画の中の彼の将来に)不吉な予感が…(笑)


ベトナム女性のフォングは、長い黒髪と口角を美しくあげた笑顔が印象的。ブレンダンの愛の告白をケインの前で断った後、一瞬ちらっと見せる微笑…男に頼らなければ生きていけない状況で、精一杯自分を律して生きているといった雰囲気。
ケインと彼女が暮らす家は、昼間でも蜀台に灯をともしており、シンプルなベッドルームも素敵。でも愛する人がいなくなってから、ケインは灯をともさずに過ごしている。
ケインからブレンダンに乗り換えたフォングは、アオザイをやめてワンピース姿、髪も現代風にセットしている。買い物から帰ってくると、戸口にケインからの手紙が置いてある。それを仕事仲間と会合中のブレンダンに手渡し、ベッドに座り込む。生活を共にしていないときは、顔を合わせている間はすべて二人だけの時間だけど、一緒に暮らしはじめたら、自分のものじゃない顔も見なければならない。しかもこのように、生き残るために身をあずけている男。自分の国に介入しにやってきた男。思わず心中を想像してしまった。
ところで、ブレンダンはケインに「彼女を守らなくては」(protect her)と言うのですが、こういうときprotectって使うもんなのかな?戦争中ってのもあるのかな。もしくはこのへんに、ブレンダン(=アメリカ人)の姿勢が現れてるのかな。


最後、記者としてベトナムに残ったケインが書く「幽霊はどこの家にもいるが、刺激しなければおとなしくしている(be quiet)ものだ」という言葉の意味がよくわかりませんでした。この事件を例えて言ってるのかな。