二人の部屋で愛を


誰かを好きになったら、「せ〜かいじゅうに〜」そのことを知らせたい、誓いたい、叫びたい、というようなドラマや歌は多々あるけれど、私はむしろ、二人で秘密の部屋にこもっていたい。洋服や映画や音楽の話も、家族や将来の話も、したくない、「このパン美味しいね」とか、そんなことだけ言い合いたい。でも実際はそんなわけにいかなくて、外にも出なきゃなんないし、出たくもなるし、出たら出たで楽しいし、色々考えちゃうし、だから難しい。
たまに、身体だけでなく、心さえも、倒れ掛かりそうになってしまうけれど、自分が支えたいと思う相手にしか支えられたくないから、ちょっと休んだら、また行かなくちゃ。また現れるだろうか?重く重く、私の胸に倒れ掛かってくる人は。そういう感触は、何年たっても消えることがない。


私が好きになる男の人は、たいてい同性からはあまり好かれていない。女癖がどうとか金遣いがどうとかそういうんじゃなくて、なんていうのかなあ、「男の友情」という言葉が似合わないタイプというか、あるいは時間にルーズとか←私もどちらかというとルーズなので、というか、がんばっても何故か遅れてしまうので、あまり気にならない…
しかし結局のところ(ストレートの場合を想定すると)、男でも女でも、同性から好かれる人を好きになるべき、なんていうのは、自分の気に喰わない同性が異性から好かれるのが面白くないだけなんじゃないの?と思ってしまう。


いわゆる「世間の常識」にとらわれずに生きている人が、自分が「持っている」ものに関しては(結婚経験とか、あるいはウェブ上の「馴れ合い」でさえも)、他人だってほんとは欲しいはずなのだ、素直に取ればいいのに、というような態度を取ることがある。なんだ、寛容なわけじゃなくて頑固なだけだったのか、とがっかりする。いずれにせよ、持ってる人と持ってない人とでは、持ってない人というのは、たとえそれが自分の意志による選択であっても、いつでも弱い立場にいるものだ。