休日の記録



浅草寺で初めて御朱印をもらう。三が日というのでさすがに境内は大混雑だったけれど、それもまた楽しい。
その後は歩いて押上へ。昔、母の叔父が業平の浅草通り沿いに住んでおり、学生時代に都電でよく訪ねたと言っていた、その辺りからスカイツリーを振り返ると、いつもと違うふうに見えた。


干支の甘いもの。
フェアリーケーキフェアの「うりぼう」はチョコバナナ味、ポール・ボキューズ・ベーカリーのいのししパンも中味はチョコレート。クリスピー・クリームの「ハッピーイノシシ」にはキャラメルクリーム、いつもの味で普通に美味しかった。


韓国のチョコパイハウスで買ってきたチョコパイをおせちのデザートに。購入したのは「オリジナル」二つと「きなこ」二つ、いずれも中はマシュマロ(懐かしのエンゼルパイふう)。包装含め丁寧なお菓子だ。
マイナス十何度だかの中を歩いて訪ねたお店もホリデー仕様で可愛かった。

アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング



これならば、私はエイミー・シューマーのような(旧来の映画なら「ヒロイン」にならないような)女性が普通に出ているロマコメが普通に見られた方がずっと楽しいし元気づけられる。そこにひとっ飛びは出来ないからこの映画のような「意識改革」からするしかないのかな。


レニー(エイミー・シューマー)は話の始めからほぼ終わりまで、世の差別や偏見を助長している。「ブス」の時も「美人」の時も、田舎や中年を馬鹿にし「美人は幸せ」と決めつけ女は性的に求められてこそ価値があると考え友人にそれを押し付ける。それは社会の反映で、人は皆弱いから差別や偏見にそうと知らず加担してしまうのだ。私だって幾つも思い当たる。


しかし被害の度合は、差別の種類や本人側の性分などの組み合わせは色々あれど、レニーのような人間が被るのが一番大きい。それなのにその解消を彼女が背負わなきゃならないのかと疑問に思う。序盤のビキニコンテストが楽しく見られたのは、レニーが好き勝手にやり世界が変わるところだから。しかし「ガールズ・トリップ」の最後のスピーチの場面しかり、世の観衆・聴衆をずいぶん優しいものと見積もってるなと思ってしまう(笑)


この映画は世界を二重にすることで話を進めている。一つは排他的な化粧品会社、もう一つはその外側の、それに比べたら!差別や偏見の少ない社会(ニューヨークの町とでもくくっておこうか)。広い世界には優しい人もいるのに、会社に憧れ続けるレニーにはそれが見えない。あの化粧品会社が女ばかりで構成されている(少なくとも彼女が接するのは女ばかり)には何だそりゃと思う。


一番問題だと思うのは「美人」の描写で、「美人は男にもてて幸せ」という当初のレニーの認識に「でもふられる時もある」(だから何?)「バカと言われると傷つく」(だから何?)というのが加わっただけで終わる(そもそも「美人」の代表としてあのようなキャラクターを据えるのが相当古い)。「男に好かれていいことなど無い」ということを主張しなきゃいけない時代だよ、今は。


よかったのは中盤と最後の二度のキスシーン。「こう言おう…キスしたいって」「ずっと君が見えてた」。キスが奇跡を起こすんじゃない、関わりの結果がキスなのだ。あの、ポール・フェイグの映画ならクリス・オダウドがやるところの役のロリー・スコヴェル、最高だった。