三連休の記録



同居人の誕生日、ケーキはどうすると聞いたら糖質制限してるし無くていいかなと言っていたのが、やっぱり食べようとタカセの9階のコーヒーラウンジへ。誕生日だと話したらお店の人がろうそくをサービスしてくれた。昔ながらのショートケーキもチーズケーキも美味しかった。オリジナルブレンドのコーヒーも、こんなに美味しかったっけと。


道々見かける美味しそうなものを私にプレゼントしたいと、行列に並んでお買い上げ。RINGOのカスタードアップルパイとPRESS BUTTER SANDのバターサンド、確かにいつも目にしながら食べたことがなかった。あっためて食べたら美味☆

アリー スター誕生



ドラァグ・バーの楽屋を訪ねたジャック(ブラッドリー・クーパー)が「La Vie en Rose」を歌い終えたアリー(レディー・ガガ)の偽の眉を剥がすのは、「スター誕生」で毎回描かれる(最初の37年版は未見だけども)「君は装わなくていい」という要素だが、本作ではこれを支える認識が以前とは違うふうに扱われる。そう言われたところで社会の要請は無くなりはしないし化粧したい時もある、という女の事情が導入される。「お偉方はその鼻がなければと言う」に自身の耳のことを返すのに、どちらも大変だろうが違う種類の問題だと思わずにはいられないが、この映画はここから先、彼のこうした認識のずれを何度も示す。


アリーの巨大看板の前での「君の歌は天から授かった」(直後に場面転換し彼女の反応は描かれず)や更生施設の面会での「元の君に戻ったら…」(彼女は表情を変えない)から分かるように、ジャックにとっての善は「天から授かった」ものを変わらぬやり方で扱うことである。彼はそれをアリーにも求めるが、21世紀も二十年近く過ぎた今、自分の意思によらないもの、変化しないことを善とするのは(とりわけそれを女に求めるのは)むしろ悪だろう。今回の「スター誕生」は、その認識を殺すためにお馴染みの話を用いているように私には見えた。


女は自身の脅威ともなる社会を無視できないが、男はそんなもの無視できると思っている(実際そう言う人っている)。ジャックにとっての愛の「頂点」は、ほぼざんばら髪に首まで詰まった衣装のアリーがピアノを弾きながら「あなたに見つめられ全てが消える」と歌う時である(その次の場面でマネージャーがアリーに声を掛け、物語は「折り返す」)。結果的に本作の妙となっているのは、こういう男でも女は好きになるということが描かれているところ。有無の問題じゃないと言われそうだけど、ある!と思う(笑)だから面白いのだ、恋愛って。そもそも「スター誕生」のメインは「欠点だらけだが愛すべき男」であり、それが違う形で引き継がれているとも言える。


(以下「ネタバレ」あり)


冒頭車内で縛り首の縄の絵の方へ「あそこを右へ」と言った時から、ジャックは死に向かって走り続けることとなる。それはアリーが言う通り「私と出会って(アルコール依存症が)悪化した」からでもあろうが、兄ボビー(サム・エリオット)の言うように「誰かのせいだとしたらジャックのせい」なんである。外から見えない靴下を履くことを「隠している」と思う、ボビーに「今の聴力を保つんだ」、親友ヌードルス(デイヴ・シャペル)に「目的地を忘れても止まったままでいいってこともある」と言われても、それではいられない、変化しないために必死で生きずにはいられない彼の性分ゆえなのだ。


役者二人に極めて近い映像という形で分かりやすく描かれる(ガガの後頭部が映りこんだ画面など異様にも見える)、「La Vie en Rose」でアリーがジャックを見た時から続いていた二人だけの世界が、ラストシーンで初めて壊れる、いや彼女の意思で突破される。最後に真のスターが生まれるという、「スター誕生」の最も重要な要素がやはり分かりやすく表される。暗転してエンドクレジットの最中、スターとなったアリーのいわば初ステージを私達に聴かせてくれるのはサービスと受け取った。