平日の記録


結婚記念日に、東京ベイクルージングレストラン・シンフォニーのサンセットクルーズへ。「美味国産 特選牛フレンチコース」は真鯛のグリルや千葉県産の牛ステーキなど、写真はデザートのレモンケーキとバニラアイス。お皿も可愛く楽しかった。喋って食べて外を見て、二時間があっという間。

パリに見出されたピアニスト


ピアノの単音がオーケストラとなり、パリ北駅のめまぐるしい雑踏の中、「ご自由に演奏を」ピアノでマチュー(ジュール・ベンシェトリ)がバッハの「プレリュードとフーガ ハ短調 BWV847」を弾いている、一瞬遅れてバッハの前奏曲だと気付く。遠くから見つめるピエール(ランベール・ウィルソン)いわく「君のバッハの解釈は斬新だ」。

エリザベス(クリスティン・スコット・トーマス)が「私たち三人は繋がっている」と言うけれど、キャラクターとしても役者としても三人あっての物語である(それ以上でも以下でもない)。ルブタンに合わせて赤い眼鏡、陽の差し込む真っ白な部屋でレッスンをするエリザベスと、同様に眼鏡を掛け、罠、いや餌でもって暗いスタジオへマチューを誘い込むピエール。

ピエールの仕事は「ディレクター」、エリザベスの仕事は「先生」である。ピエールが「ピアニストの自由は楽譜をきちんと解釈した後にある」と言えば、エリザベスが「楽譜には作曲者の全身全霊がこめられている」(から消化しないのは失礼なのだ)と教える、やらねばならない理由を伝えるのが教師の仕事だからね。

エリザベスが自身の1981年のコンクールの映像を見せながらいわく「失敗したのは感情が表れていないから」。この映画は自分の気持ちを認めてそれを適切に表すことは大切だ、大人になるとはそういうことだと言っている。確かにそれが演奏を成長させると私も思う。親への不満を溜め込んだままコンクールのことを黙っていてはだめだということだ。

主演のジュール・ベンシェトリの輝きがすごいと思いきや、予告では気付かなかったけれど「アスファルト」に出ていたトランティニャン家の彼だった。元より容貌が似ているのに加え「キングスマン」(=「マイ・フェア・レディ」)めいたところがあるのと007の真似をするシーンがあるのでタロンくんが頭をよぎった。

エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ


映画はケイラ(エルシー・フィッシャー)の配信動画に始まる(そうか、「ズーム」はそうやればいいのかと気付く・笑)。ボー・バーナム監督がジョン・ヒューズの映画は世代的に心に響かないと話す記事を目にしていたので(「フェリスはある朝突然に」から)ふと頭に浮かんだんだけれども、あちらとこちらが混在している現在では「第四の壁」なるものの捉えられ方が変わってきはしないだろうか。作中の彼女は神に祈る時には目を閉じ横顔で表現され、卒業式の折に正当な怒りをぶつける時には相手を見ず目を伏せて物を言う。変な言い方だけれども、彼女が最も正面切って見るのは誰とも知らない相手なのだ。

導入に置かれた、ケイラの通うミドルスクールの描写が面白い。ペンの匂いを嗅ぐ者、デンタルフロスを使う者に始まり、「授業の内容」ではなく生徒がしていることが延々と描かれる(それらはほぼ「手を使ってすること」である)。今までの学校描写は大人視点だったなと思わされる。更に面白いのは決して主人公視点ではない中学生の生態がここに記されているのと同様、後のショッピングモールでの高校生達のやりとりにも短いながら高校生の生態が焼き付けられていること。かりにケイラの父親(ジョシュ・ハミルトン)が同年代の人々と一緒の場面があればそこにも同じようなものが見られると想像される。そうでありながらケイラの気持ちが映画を支配しているように感じられるのは、世代ごとのレイヤーが彼女の中に存在しているからかもしれない。

映画の終わりのチキンナゲットの食卓の距離は、娘の部屋のドアから中に入りはしない父親の保っている距離に通じるように思われた。相手との間に本来必要なもので、距離のないSNSの中、あるいは足を持たないのに付け込まれる後部座席と対照的だ。あの時ケイラは目を伏せ、くそに都合のいいこと…私が悪かった、オリヴィアには黙ってて、と言ったものだが、こうした被害は表に出ないものだとつくづく思う。その時々に自分がしたことを元に「皆の役に立つ」アドバイスをしていた彼女はその後、「自分は他人に助言するほどの人間じゃない」との言葉でもって配信をやめる。物語として、被害に遭ったことが決意を促したような形であるのに釈然としない。その後のケイラは少しだけ息がし易くなったろうが、最悪だけれども一つずつ終わっていくし何なら楽しい、と作り手が見るこの世界から、少しでもああいう、くそによる被害を減らしたいと私は思ってしまう。どうすればいいのか?

見えない目撃者


オリジナルは見ていないんだけれども、これは他人を気に掛けるという最大の美徳を持つ四人がチームとなり「いなくなっても誰も気にしない」弱者を踏み潰す悪と闘う物語である。だからこの映画で最も大切な場面は主人公なつめ(吉岡里帆)の「うちに来る?(略)ご飯だけでも」とその後の少女の笑顔。ちなみに最も燃える場面は田口トモロヲ演じる木村の「たかはし~」。今年劇場で一番体温が上がった。「定年後は(略)」のタイミングもまあ、ずるい(笑)

視覚障害にまつわる描写は鮮烈ながら、犯罪の方には調査による真実味も寄り添いも感じられない昔ながらの作品だけれども、全編が愛で貫かれている感じがしてそれがいい。追われるなつめが道々助けを求めても応じてもらえないのが更に地下鉄の駅構内で周囲が無人になるのは社会の冷淡さを表してるように思われたけど、そんな時でも場面そのものには不思議と愛が感じられる。

(以下少々「ネタバレ」)

犯人は「いなくなっても誰も気にしない」弱者を選るのに「親が無関心であること」という視点を利用する。選ばれた少女達は春馬(高杉真宙)が風俗店で目にする光景、刑事二人が犬が吠えた先の小山に見る光景で強調されているように「量産品」のような容貌を備えている。映画はそれを彼女達が親の庇護なしで生存するための手段、あるいはそうでなかろうと、どんな理由だろうと馬鹿にされる筋合いはないものとして描いている。優しい視点だがこれらの要素は私には随分古いように感じられた。「警察官でなければ知り得ないこと」から犯人に近付くという要素にNetflix「アンビリーバブル」を思い出したのでつい比べてしまったものだけど、そりゃあ比べるのは分が悪すぎるけど、例えば自分に関心を持っている人間がいようと苦悩がある、弱者になり得る、ということも描いているあの作品の新しさ、精緻さには敵わない。

平日の記録


今月オープンしたてのシャトレーゼの新ブランドYATSUDOKIにて「国産和栗の生モンブラン」。何気なく注文してみたんだけど、栗の渋皮煮とマロンクリームと生クリームとカスタードクリームと厚いラングドシャのようなクッキー、全てが美味しく食べるや笑ってしまった。一人じゃ勿体無かった。


たまに寄っている東武池袋内のミニマル ビーントゥバーチョコレートでは、移転によりイートインがなくなるとの告知を目にして思わず「プレミアムチョコレートパフェ」。贅沢だけど一つ一つの存在感が大きすぎ、コーヒーがほのかに香るミルクジェラートあたりでやっと一息。

アド・アストラ


「リマ計画」を知っているかと問われたロイ(ブラッド・ピット)がまるで第三者のように返答するも父が生きていると聞くと相手の声がひととき遠くなる、意識が制御下から離れそうになるのは、冒頭の事故がその比喩だったかのように思われた。冷静に対処してもどうしようもなく墜落するが持ち直す。

全編に流れるのは自分と父に向けたロイの語りだけれども、映画の始めの「近い将来」「希望も争いもあった」「進歩のために人類は努力した」(だっけ?)との文は作り手からの「これに沿って見てください」というメッセージでしょう。あれは何のためにあるのか、希望と争いとは何のことなのか、私にはうまく受け取れなかった。

ケフェウス号に乗り込んだロイは乗組員達は技術者や科学者だから気楽そうだと考える。船長は「伝説の宇宙飛行士」の息子である彼に向かって「E.T.がいたら呼ぶ」なんて軽口を叩く。彼らは「進歩のために努力」している一員(として描かれている)だろうか。後のロイの「敵ではない」というメッセージが上からの命令で動く彼らに全く通じないという描写からしてそうではないように思われた。

ロイが出て行った妻「イヴ」(リヴ・タイラー)の「メッセージは送れるのに返事が受け取れないなんて」との言葉を思い出すのは、彼が父(トミー・リー・ジョーンズ)から同じことをされているからか。妻と異なり一念で自分の中の果てまで後を追うも、手をとってもその手をケアしてもロープで繋いでも、相手は自分とコミュニケーションを取ろうとせず、自分はそういう人間だからと諦めさせるためある行動に出る。

ロイが全くの一人になった後、映画のトーンが不意に変わって、リマ号のプロペラ?やそれを盾に向かった先のケフェウス号が明るく映るのは、彼が他者とコミュニケーションを作り上げる決意をしたから。私にはこの映画は、コミュニケーションを構築するのに参加しない人間のせいで嫌な思いをしているならさっさとよそへ向かえという話に思われた。普通の人にはあそこまでできないけど、ブラピがしてくれたから、もう皆はいいよって(笑)

週末の記録


同居人が先週の朝テレビで見たそうで、名古屋のパン屋さんなんだって、小麦を石臼でひいてるんだって、と誘ってくれたので自由が丘のバゲットラビットへ。「三重県の小麦を石臼でひいて使用」とあったバゲットラビットにブール、かぼちゃとクリームチーズとキャラメルのブール、キャラメルスティックを購入。確かにどれも食べたことのない感じで美味しかった。
帰りに駅前のモンブランに寄って「日本初のモンブラン」。万年雪のメレンゲに真っ黄色のマロンクリーム、カステラ生地の中にも栗の甘露煮、かなりの食べで。お店の雰囲気はうちの近所なら大久保のトリアノンというところ(まあ、ちょっと違うけど…)。